04 「銀色の大地」






「お兄ちゃんお姉ちゃん、見て…!」


 感激に満ちた声で、楓は兄姉を振り向かせた。
 山の中の、薄野だった。深まる秋に穂という穂が豊かに解け、白銀の世界をなしている。
「すごいなぁ…ねえ、僕ちょっと行ってくる!」
 言うが早いか楓は飛び出す。広々とした銀色の大地を、駆け回ってみたくなったのだろう。
「楓ったら、しょうがない子ね」
 傍らにいる雪が微笑む。
 楓の姿が野原に消えた。すすきはちょうど楓の背丈と同じぐらいに伸びていて、楓の姿をすっぽり隠してしまっている。
「…」
 雪はしばらくは見守っている様子だったが、そのうちそわそわとし始めた。いつまでも楓が見えないので、不安になったのだろう。
 探しにいこうか、と雪が足を踏み込みかけたとき。
「…きゃっ」
 雪の声に、守矢は振り返る。先ほどまで原っぱを駆け回っていた楓は、いつの間にか兄姉たちの後ろに回りこんできていて、姉の背中を両手で軽く押したのだ。
「もうっ、楓!」
 驚かされて、雪は怒ったように手を振り上げる。
「えへっ!」
 楓はすすきに飛び込んだ。
「待ちなさい、こらっ楓ったら!」
 引き込まれて、雪も野原に入ってしまった。
 楓は野に出ると兔のように敏捷になる。なかなか雪は追いつけなかった。
 守矢は一人で立っていた。
 光溢れる野原に、時々浮島のように黒の髪と金の髪が現れ、銀海に埋もれすぐ消えていく。距離は少しも縮まらないようだった。
 しまいには、双つとも浮上しなくなってしまう。
「…」
 別に守矢は慌てもしない。その内飽いて出てくるだろうと、そのまま立っていた。
 ふと、背後から、小さな弟妹たちの忍び笑いが聞こえてきた。
 振り返ったと同時に、猿のように飛びつかれる。
 幼子二人の力とはいえ、それは容赦の無い勢いだったので、平衡を崩して守矢は二、三度、たたらを踏んだ。
「わあい!」
 してやったりと、楓が囃す声。
「ご、ごめんなさい守矢!」
 倒れると思ったか、雪は慌てる。
 しかし、守矢は別に表情を崩すでもなく、すぐに姿勢を取り直した。
「…大概にしておけよ」
 それだけを言って楓の肩口を払い、雪の髪の埃も払った。銀霞となってすすきが散る。
「…さぁ、帰るぞ」
 兄の言葉に、野原をすっかり堪能しきった弟妹たちは、素直に頷いた。雪はというと、すすきの束を両手に抱いている。
 それは、と目で守矢が問うと、雪は嬉しそうに笑った。
「師匠に持って帰るの」
「おみやげだよ。いいでしょ?」
 二人は、それぞれの黒と青の目を輝かせ、はち切れんばかりの笑顔でいる。
「…ああ」
 守矢は頷くしかなかった。
 三人、並んで歩き出す。
 暫くしたところで、雪が立ち止まった。また、楓がいない。
 楓は一人、西日を眺めていた。燦然と輝く朱の光が、趣深く野を染めている。
 空は浅葱の色に光り、雲は紫の陰影を誇る。燃えるように夕陽はたぎり、くるめく光が野原にみなぎる。刻一刻と色彩を変える夢のような景色を、楓は、微動だにせず見つめている。
「ほんとにもう」
 仕様のない子だと、雪がまた笑う。放っておけば、気ままな楓はいつまででもそこにいるだろう。
 帰りが遅くなってしまう。守矢は楓に近づき、その手を強く引いた。
「いたいっ」
 思いがけなかったのか、楓は抗議の声を上げた。
「お前が悪い」
「どうしてっ」
 頭ごなしの守矢に対し、きかん気な楓は守矢の腕を打とうとした。
 それが分からない守矢ではなかった。歩き出しながら、難なく、ひらりとかわす。
「あっ」
 頭に血が昇ったのか、追いかけつつ楓はさらに守矢に構った。それをまた守矢はよける。
 楓は次々と手を送るが、その一つとして守矢に当たらない。
「お兄ちゃんっ」
 打ち続けるうち、楓は必死になっている。叱責されたことなど忘れてしまって、一打でも守矢に当てようと顔まで真っ赤になっていた。楓の時分の男の子は、力が余ってしょうがないものだ。兄に一目見せたくてたまらないのだろう。
 守矢も、一つくらいは相手になってやればよいものを、避けることをやめようとしない。楓が本気になっているように、どこまでも本気で付き合ってやっている。見切りの鍛錬のつもりかもしれない。
 帰りは急ぐ。手だけは、やめない。
 歩きながらも応酬は続いた。
 一人、残された雪はというと。
 男の子はいいなぁ。
 静かに暴れる兄と弟を見つめながら、のどかに、しかしひっそりと、思ったのだった。


 波のように連なるすすきが、兄弟たちを見送っていった。







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