一枚の花びらが鼻先をかすめ、楓は瞳を開いた。
山奥にある屋敷より、さらに深い山の中。そこに咲く一本の樺桜に、楓は背中を預けていた。
桜の花は、溢れんばかりに咲き零れている。
ひとつ、花のかけらが下りてきて、楓の袖に白く宿った。
雪のようだ、と楓は思った。
同時に、その名を持った義姉のことを思い出す。また、育ての父を思った。
過ぎし日に、彼らとこの花の下に立ったことがあったのだ。
あの時も花は美しかった。
「きれいだね」
楓が言うと、姉も、父も、楓を見て、微笑みながら頷いた。
…だが、今は楓が一人である。
父も姉も、もういない。
彼らは、押し寄せるように強烈な、白光の中へ、消えていった。
楓に何が言えただろう。激流のさだめに飲み込まれて。
話したいことも言えなかった言葉も非情の時は全てを呑み込み、その両腕で攫うように楓を連れ去り…。
一人、残った楓の前に、花だけが変わらぬ姿で現れる。
楓は花の姿を見上げた。
花、花は心を持つだろうか。この花は知っていてくれているだろうか。
花のもとに憩った人たち。春の景色を愛した家族。
彼らは確かに、ここにいたのだと…。