08 「花の記憶」






 一枚の花びらが鼻先をかすめ、楓は瞳を開いた。
 山奥にある屋敷より、さらに深い山の中。そこに咲く一本の樺桜に、楓は背中を預けていた。
 桜の花は、溢れんばかりに咲き零れている。
 ひとつ、花のかけらが下りてきて、楓の袖に白く宿った。
 雪のようだ、と楓は思った。
 同時に、その名を持った義姉のことを思い出す。また、育ての父を思った。
 過ぎし日に、彼らとこの花の下に立ったことがあったのだ。
 あの時も花は美しかった。
「きれいだね」
 楓が言うと、姉も、父も、楓を見て、微笑みながら頷いた。
 …だが、今は楓が一人である。
 父も姉も、もういない。
 彼らは、押し寄せるように強烈な、白光の中へ、消えていった。
 楓に何が言えただろう。激流のさだめに飲み込まれて。
 話したいことも言えなかった言葉も非情の時は全てを呑み込み、その両腕で攫うように楓を連れ去り…。
 一人、残った楓の前に、花だけが変わらぬ姿で現れる。
 楓は花の姿を見上げた。
 花、花は心を持つだろうか。この花は知っていてくれているだろうか。
 花のもとに憩った人たち。春の景色を愛した家族。
 彼らは確かに、ここにいたのだと…。







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