13 「誰かが呼んでいる」






 生みの父母の顔立ちを、雪はもう、思い出せない。

 水鏡に映る我が顔を眺めて、雪は時折、もの思いにふけることがある。
 私は誰なのだろう。
 父母とは幼すぎる時に死別した。
 親の無い自分を拾い、育ててくれたのは槍の師匠ともなってくれた慨世だ。
 だが、彼も雪の生まれを語ってくれたことは一度も無かった。
 そしてその慨世も亡くなった今、雪の証を立てられる者は、誰もいない。
 誰も雪がどこから来たのか知らない。
 雪は懐に手をやった。慣れた手つき。幼い頃から繰り返していた仕草だ。
 ひやりとした石の感触が指に触れる。
 物心ついた時には胸にあった。翡翠という、蒼がかって美しい珠の下がった首飾りだった。
 心も技も、何から何まで師匠に与えられたと思っている雪であったが、しかしこれだけは、師が与えてくれたものではなかった。
 では父のものか?母のものか?
 それも分からない。何も定かではない。
 水を見つめて雪は思う。
 私は何者。
 これからどこへ行くべきなのか。



 玄武の翁の庵を出た後、楓は、天へ向かって伸びをした。
「封印の儀式、か…」
 青い空を見上げ、そう呟く。後ろに続いていた雪は頷いた。
「地獄門を封印するための儀式…。その為には四神の力の他に、封印の巫女という人が必要って」
「まずは封印の巫女を探すのが先のようだね…。その人が儀式の要になるって翁は言っていた」
「そうね…」
 遠くを見つめていた雪は、何かを振り払うように首を振り、楓を見やった。
「楓、あなたがしっかりしなければね。巫女という人を中心にして四神が儀式を行うのだとすれば、勿論だけれど四神の長である青龍の役目が、最も重要なものになるわ」
 責任を自覚させるような雪の言葉に、しかし楓は笑ってみせた。
「分かってる。大丈夫だよ、姉さん」
 声にも目にも、揺るがぬ自信が表れている。半年前の事件から、彼は強く成長した。
「僕はもう、大丈夫だ」
 凛とした笑みを口元に結ぶ。瞳は深く澄んでいた。雪は微笑む。
 大きくなった。
 しみじみと雪はそう思った。今の楓を師匠が見たら、どれほど喜んでくれるだろう。
「楓」
 雪は言った。
「いつまでもそうして、笑っていてね。私はあなたの笑顔が好きだわ」



 深更、雪は暗闇に目を開けた。
 するりと寝所を抜け出す。
 手早く旅装を整えて、亡父の遺槍”牡丹”を携え、翁のもとを去っていく。
 夜は深く鎮まっていた。月の眼だけが開いている。
 楓、ごめんね。私は行くわ。
 頭巾を深く雪は被る。月の光を踏んで歩いた。一人で行くのだ。
 楓とはこの場で別れるが、しかし、きっとまた会える。この道をしかと歩いていけば、どこかで必ず出会えるはずだ。
 行き着く先が同じであれば、必ず…。
 無意識のうちに胸に手をやる。
 あの首飾り。自ら光を発している。何かと共鳴するかのように。
 雪は強く思っている。
 行かなくてはならない。
 誰かが呼んでいる。そんな気がする。誰かが私を待っている。


 私は誰で。
 どこから来て。
 どこへ行くのか。
 この先にあるものが知っている。







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