一瞬の出来事。
颶風の如き男の急襲。斃れた師匠。
赤い血。掌底から溢れ出す。
何かの気配。振り返る。
妹。弟。
弟は刃を握っていた。走ってくる。か細い腕を振り上げて。己の教えた剣の型を忠実に守って。
左肩に衝撃が走る。肉が裂け、刃が骨に食い込んだ。
妹が激しい声で泣いている。
弟の眼が赤く燃えていた。
そうだ。その眼の云う通りだ。
他でもない、師匠を死なせてしまったのは……
「……!」
かっと両目を見開いた。
左肩を押さえる。裂けては、いない。
夢。だった。
顔を覆う。
うつつを正確になぞる夢。今まで幾度見たことか。目の前で師匠が斬られ、弟に仇よと斬りつけられ…。
もう一度息を吐き出す。足元に光が零れていることに、気が付いた。
冷たい輝き。月が、ある。
周りに目をやる。
荒れて久しい、山中の古寺。破れた障子から月の光が漏れている。草のざわめく音が聞こえる。風が、熊笹の茂みを揺らしているのだろう。
起き上がり、障子を開いた。
冴え冴えと輝く、霜のように冷えた月。銀色に光る鏡のよう。
この月を。
思った。
見ているのだろうか。あの二人も…。
同時に、左肩にずきと重い痛みが走った。義弟に斬られた左肩。傷は癒えたはずなのに、痛みだけは時折、鈍く甦る。
あの時。斬りかかってきた弟。
斃れた師匠の躯。あの男の血で染まった刃を握ったままでいた己。弟が何をどう思ったのか。問うまでもなかった。
目の前で師匠を斬られてしまった。師匠を護ることができなかった。弟子でありながら。己が師匠を殺してしまったのも同然だ。
今頃どうしているのか。養い父を喪った、楓は。雪は…。
己はあの二人に何をしてやればいいのか…。
いや。いいや…。
償い、など。許し、など。例え何をしたところで。
師匠を死なせてしまった。弟妹たちの幸せを奪ってしまった。あの二人を不幸にしてしまったのは己だ。
夜毎のように見る悪夢も、戒めに他ならない。
それでよかった。そうでなければならなかった。
もう帰ることはできない。歩みを止めることもできない。己が、この手で終わらせなければならないことなのだ。
あの男…師を斬った、あの、背筋の凍る冷たい眼をした男に会う。そして斬る。必ず。
あの男を斬ったところで師は戻らぬ。そんなことは分かっている。だが。あの男だけは許さない。
彼奴だけは、この手で必ず…!
守矢は再び眼を閉じた。
冷たく燃える心を抱きながら。
夜の暗闇を皓々と照らす、月の下で。