夕立に洗われた涼風が暑気を払うように吹き過ぎていく。薄闇が漂い始めた街に、明かりがぽつぽつと灯り始めた。 
「あ…京、あそこで何か光ってる…?」 
 青みがかった夕闇の中、渡ろうとした橋の半ばで京の手を引きユキは言った。その白すぎる指が差す河原の一角に、小さな火花が舞っている。 
「花火…だろ?夏だし、誰か遊んでんだろ」 
 京は言った。ユキが足を止めているので、同じように隣に立った。 
 薄暗がりの川の岸辺で、近所同士で来たらしい複数の子ども連れが、明滅する光を囲んでいる。 
 火花が素早く走るたび、子どもの無邪気な歓声が起こる。京は、見るともなしに見つめていた。赤、白、金…とりどりに移り変わる光の中で、ふと、紫の輝きがその眼を灼いた。 
 …八神。 
 揺さぶられるように京は思い出す。あの赤い髪の男が使う、紫の炎を。京の操る朱色の炎と対照的な、冷たく輝く炎を。 
 KOFに出ていくのなら──。 
 京は拳を握った。 
 奴と会うことになるのかもしれない。 
 勿論、間違っても顔を合わせたいなどと思うような相手ではなかった。こちらには全く覚えが無い憎悪と殺意を剥き出しにしてくる男を、誰が歓迎できるだろう。 
 だが。京は思う。 
 次に八神と出会った時が、すべての決着がつく時なのではないか…と。そんな気がするのだ。ただ漠然とそう思うだけで、確たる理由は無いのだが…。 
 かつて神楽ちづるという女にオロチを倒すため八神と手を組め、と言われたことがあったが、そんな言葉ははなから聞く気はなかった。そんなことはする気もないし、できるわけがない。誰も見たこともないような敵のために、なんでよりによってわざわざあの八神なんかと手を組まなきゃならない? 
 八神との戦いは俺自身の意思だ。誰が何を言おうと関係ない。宿命だか因縁だか、そんなことは知ったことじゃない。八神の野郎が何を考えているのかは知らないが、向かってくるなら相手をしてやる。俺を殺したいと言うのならやってみればいさ、そう簡単に行く訳があるか──。 
 遠くに光る紫色の火花を見据え、傲然と京はそう思う。 
「──京」 
 ユキの声で、京は思案から覚めた。 
「京…ちょっと、お願いしてもいい?」 
「? 何だよ」 
「京の炎が見たい」 
「なんだそりゃ? お前そんなの今まで──…まぁ、いいけどよ」 
 そう言ってすぐに京は右手を開きかけ、周りに気付く。人通りが全く無いという訳ではない。 
「…しょうがねえな」 
 ユキの手を引き、京は河原に降りた。花火を楽しんでいる人々は他にもいるし、闇は濃くなる一方だ。紛れてしまえば人目には立たない。 
「──ほら」 
 京は掌を開いた。揺らめく炎がそこに生まれる。何の苦もなく、京がただ思うだけでそこに宿る。 
 京の分身。草薙の証。 
 その身に脈打つ血と同じく、京を熱く息づかせる。 
 この炎を…。 
 ユキの顔をちらりと見た。ユキは炎を静かなまなざしで見つめている。火の照り返しに、薄茶の髪も白い肌も、明るい朱色に染まっている。 
 ユキに見せた時は、ありったけの勇気を出したっけ。ちょうどあの時と同じこの場所で、誰にも見られないように…誰もいなくなる時を待って。 
 俺はフツーじゃない。 
 草薙の家はフツーじゃない。 
 それは分かっている。だからこそ悩んだ。炎を見せるか、それとも隠し続けるか。必死だった。誰にそっぽを向かれようと、この子にだけは嫌われたくなかったから。 
 そばにいてほしい。笑顔をずっと見ていたい…そんなふうに思えた、たった一人の子だったから。 
「うん」 
 ユキは頷いた。何かに納得したように。 
「やっぱり、綺麗…この火も、京も」 
 綺麗。京の胸が甘く締め付けられる。あの時もユキはそう言った。初めて炎を見せた時、何もないところから炎を生み出してみせた京に恐れも何も見せずに。綺麗、と、限りなく澄んだ瞳で…。 
「きれいなんて言われてもよ」 
 疼くような鼓動を押し殺して、心とは裏腹に京は唇を尖らせた。 
「嬉しかねえよ。男なんだぜ」 
 そう言った。ユキはそんなことを言っているのではない、と思いながら。 
「…ごめん」 
 柔らかにユキは笑う。その微笑みを京は見つめる。 
 今まで一度として言ってこなかったのに、ユキがどうして炎を見たいなどと言ってきたのか京には何となく分かるような気がした。 
 草薙の炎。京の炎。京が京らしくある、最たるもの…。 
「──心配すんなよ」 
 手に炎を宿したまま、京は言った。低く、穏やかな声で。 
「俺は負けねえ。去年も言ったけど…帰ってくるさ」 
 ユキ相手だとどうしてこんなにも優しい声が出せるのか、京は自分でも不思議だった。 
 お前を守りたい。安心していてほしい。お前が寄せてくる信頼を、俺は絶対に裏切りはしない…。 
 京は思いをこめ、炎に息を吹きかけた。赤い炎が、解けるように消えていく。 
「約束する。ユキ……例え何があっても、世界のどこにいたとしても…お前がいるところが俺の帰ってくる場所だから…」 
 残光を曳いて消えていく炎を、魅入られたようにユキは見ていた。さっきまで炎を発し今も熱いままでいる京の手を、怖れもせずに強く握る。 
「…うん。待ってる…」 
 潤んだ瞳を伏せ、ユキは京の胸にもたれかかった。京の心臓の音を聞こうとするように耳を寄せ、そっと目を閉じる。 
 いじらしいまでのその姿に堰き上げるような愛しさを感じ…思いの限りに、京はユキを抱きしめた。 
 KOF。何が起こるのかは分からない。 
 それでも。帰ってくる。 
 必ず…この子の、もとに。
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