(1)
谷を駆ける強い風が、王女の長い髪を靡かせている。
夕暮れ、グラ城内の廊下を何気なく通りかかった傭兵サムソンは、足を止めた。
グラ王国の王女であるシーマ姫がバルコニーに出、入り日に向かってまっすぐに立っている。栗色の髪が西日に輝き、金色の糸となって風の中にもつれていた。
「シーマ王女」
バルコニーの近くまで歩き、声をかける。
「何をしている? じきに暮れる。中へ入れ」
そばに寄ると、王女は澄んだ茶色の瞳を細めながらサムソンを振り向いた。
「あ……あ。サムソンか。いや、夕陽を見ていたのだ。あまりに見事で……。良かったら一緒に見ないか? 他に用があるのならそちらへ行ってくれて構わないが」
「いや。ここにいよう」
用と言うような用も無かった。言われるままにサムソンはシーマの横に立つ。シーマは微笑み、また夕陽に瞳を戻す。
鮮やかな夕陽だった。空も山も、眼下に広がるグラの城下町も、全てが豪奢な黄金色に輝いている。王女が惹かれたのも頷けた。それでも、雇われ者でしかない傭兵に、共に夕陽を見ようなどと言う一国の王女は珍しいかもしれないと、サムソンは思った。
グラの先王、ジオルの娘シーマ。王の第二夫人を母として生まれてきた。ただ、その出生には多少の謂れがあるらしかった。サムソンが今までに零れ聞いてきた話では、王女を生んだ夫人は元々は誰ぞの人妻だったらしい。彼女の美貌に目をつけたジオルが権力ずくで己の室に入れ、ほどなくして生まれたのがシーマ王女であるのだと。だからひょっとすれば王女は、王の実の子ではないのかもしれないのだと……。
それをはっきりと意識した上でかは知らないが、王女は己の出自による無用な諍いを嫌い、国を出てアカネイアパレスに庶民として隠れ住んでいたらしい。限られた者以外の誰にも会わずに、前の戦争でジオル王が討たれた時にも、王女はグラへ帰らなかった。
アカネイア国の新王となったハーディンが、グラ王国の復興とそれを願う民たちのためにと王女を説得し、正当な王位継承者として擁立したりしなければ、彼女は今もただの町娘としてパレスで暮らしていただろう。新しき王女の冊立と共に兵馬の強化も行われ、その時にサムソンはこのグラへやってきたのだが、だが、その頃にはすでに王女は、本当に王の子であるのかどうかも分からぬ己が、なぜグラ王女として据えられたのかを完全に理解していたようだった。
ハーディンが言ったグラの復興とはただの名目だった。今のグラは大国アカネイアの意向に左右されるだけの傀儡国家に過ぎなかった。王女でありながらシーマには実際には何の権限も与えられていないのだ。
その反動、もしくは自嘲もあるのかもしれない。グラの王女として城で暮らすようになってからも、シーマはまるで庶民と変わらぬように振る舞っていた。伴も連れずに町に降りては大らかに民に話しかけ、流れ者のサムソンにですら、礼儀などいらないと言わんばかりに、他と変らぬ言葉遣いをするよう求めた。
とはいえ、かつて剣闘士として剣に生き、己の剣技一つを頼りとすることを矜持としてきたサムソンには、例え相手が王族であっても己の態度を変えるつもりは最初から無かった。それをサムソンが無骨に告げてみせても、王女は少しも不快がらず、かえって頼りにさせてもらおうと、鷹揚に笑ってみせただけだった。
ジオルの血を真実に受けているのかどうかはともかく、グラに生きる民たちをシーマが先王以上に慈しんでいることは確かだった。シーマは民の誰とも分け隔てなく接し、また民たちの誰もが、心優しきシーマ王女を敬慕している。今グラの兵力の大部分を占める年若い志願兵たちも、多くはこの美しい王女のために奮起して立ち上がったようなものだ。この国の名だたる騎士たちは前の戦争で皆死んでしまっている。
その民たちの手前だろうか。シーマ王女は、明日にはアカネイアと敵対状態にあるアリティア軍がグラに向かって進軍してくるという今になっても、自若として騒がなかった。他ならぬシーマを王女として見出したハーディンが、アリティア軍を率いるマルス王子のアカネイア国への進攻に伴いグラへの援助を止め、軍資金も無く孤立した今となっても。
アカネイアは主要な戦力を自国の防衛に回し始めた。グラなどは路傍の小石に過ぎず、例えアリティア国に滅ぼされたとしてもアカネイアは何も関知しないということを露骨に示してみせたのだ。今グラに残っているアカネイア兵たちはグラ兵たちが反乱、または逃亡しないよう見張りをしているようなものであり、サムソンと同時期に雇われた傭兵たちも報酬が貰えないと知るや日、一日とグラから去って行った。
グラは棄てられたのだ。聡明な王女はおそらくそれを悟っているのだろう。それでも王女はこの国に暮らさざるを得ないグラの民たちの唯一と言っていい心の支えとなり、この国の大地に立ち続けている。
落日の光をサムソンは見詰めた。落ちていく、という感慨が、サムソンの胸に強かった。この国は亡ぶ。数多くの戦を潜り抜けてきたサムソンははっきりとそれを感じ取ることができた。
「美しい夕陽だな。ここまで美しい夕陽を見たのは初めてかもしれない……」
金色の光を長身の姿に映えさせながら、サムソンの隣で呟くようにシーマは言った。
「だが、このまばゆい輝きも一瞬のことだ。その後には冷たい夜が来る」
普段は涼やかでいる声が僅かに震えていた。王国の末路を思っているのは明らかだった。
「……サムソン。お前には迷惑をかけた。私はグラの最期を見届けねばならぬ。お前はもう行ってくれ。ここまで付き合わせてしまったお前に最後に支払える金も無いのが心苦しくてたまらないのだが……お前までがこの国と命運を共にすることはない。ここを去り、生きてくれ」
シーマの言葉に、お前こそ、と言いかけた言葉をサムソンは呑み込んだ。お前こそもういいのではないか。この期に及んで一介の傭兵のことなどを気にして──お前こそこの国から逃げてしまえ──と。だが、仮にそんなことを言ったところで承諾するような王女ではないということはサムソンも承知している。常に民に向かって温かなまなざしを注ぐこの王女が、己一人を希望としているような民たちを見捨て、逃げ出すわけがない。
「いいや」
熱くなりかけた声を押し殺し、サムソンはあくまで沈着に言う。
「お前が残るというのなら、俺も最後まで働いてみせるさ」
それもたのしかろうよ──笑みを交えそれだけを言うと、シーマは悲しげに眉をひそめサムソンを見上げた。
「サムソン……。この国が置かれている状況は分かっているだろう? アカネイアの援助はとうに切れ、傭兵に支払う金もない。兵たちはまともに剣さえ握れぬ若年ばかりで、残ったアカネイア兵はグラを守るためではなく監視するためにこの国に居座っている。今去らねばお前は明日確実に死ぬぞ。お前は傭兵だろう。金で動く兵士のはずだ。そこまでしてくれる必要はない。もう、お前にやれる金も無いのに……」
溜まった澱を吐き出すが如く一息に言った後、シーマは、
「なぜ……そこまで」
「……」
サムソンは黙った。なぜ。答えるまでもないことだった。だがそれを今更王女に伝えたところで何になるのか。サムソンは答えないつもりでいたが、ともすればこの沈黙が王女に己の心を伝えかねないことを、強く怖れた。
「俺にもわからぬよ」
はぐらかすように言う。
「ただ……男にはそうせねばならぬ時がある。今は……そうとしか言えぬな」
「……」
シーマはサムソンの顔を真摯な瞳で見守っていたが、やがて唇を強く結んだ。
「そうか……。分かった」
一体何が分かったのか。サムソンにはすでにどうでもよいことだった。どうであろうと、己の意思は決まっていた。必ず、この娘を守り抜く。もしもそれがかなわぬのなら、きっと共に死んでやる。俺の全てをお前に与えても惜しくはない──。
そう深く心に刻みながら、サムソンはそれを色にも出さない。サムソンの心を知りようもないシーマは、小さな息をついた。
「私はお前に失礼なことを言ってしまったな。……すまぬ」
「いいや。気になどしなくてもいい」
サムソンがそう言った時、夕闇の翳りを加えた光がシーマの顔に濃く迫った。サムソンとシーマは同時に振り向く。二人が見守る中、迫るような金色の夕陽は最後の煌めきを雲中に射込みながら、落ち切った。
「美しい……な」
シーマの呟きにサムソンは深く頷く。シーマは儚げに微笑んだ。
「今日という日に、ここまでの夕陽を見られて良かった。きっと、忘れん」
「シーマ」
きびすを返し城内に戻ろうとする王女に、背負い込んだものに対してあまりにも細くあるその両肩にサムソンは呼びかけた。シーマは足を止める。
「だが……お前は死に急ぐなよ」
「……」
「もしも…………もしもマルス王子が俺の思っているような男であれば、お前の決意も変わるかもしれぬのだから……」
思わぬ言葉を聞いたようにシーマは振り返った。
「どういうことだ?」
サムソンはその問いには答えなかった。
「俺はあのこぞうの戦いぶりを見てみたいのだ。もしヤツが真の英雄であったなら……」
先の暗黒戦争にサムソンが従軍していた当時、アリティアのマルス王子はまだ幼さを十分に残した少年であった。来る日も来る日も非情な戦と相対しながら、少年らしい心の甘さ、清廉さをいつまでも心に持ち続けていた。
もしもあのまま、愚かしいとも尊いとも言えるあの純真さを捨てることなく、戦の中に成長していたのなら……。
じっと自分を見つめている、シーマの目線にサムソンは気づく。サムソンのこの考えはサムソン自身のマルス王子に対する印象であり、言ってみればただの希望にしか過ぎない。事実からは遠いかもしれない。こんな状況でも、それでもこの娘に生きてほしいと願わんがためか──普段の己らしからぬ甘い心をサムソンは哂った。何でも無い、と言わんばかりにサムソンは堅い軍服に覆われたシーマの肩に一瞬だけ手を置き、そこを去った。
残されたシーマは、サムソンが消えた先をしばらく見つめていた。サムソンに触れられた肩に、じっと己の手を重ねながら。
(2)
アリティア兵たちの歓呼の声が玉座の間を覆う。
それは敵国を占拠した勝鬨と違った、平安を確信した力強い喜びに満ちていた。マルス王子の差し出した手をシーマ王女がしっかりと握りしめた、和睦の瞬間に対し発せられたものだった。
シーマの傍らに控えていたサムソンは、静かに剣を鞘に収めた。
戦は終わった。いや、最初から始まりもしていなかったのだ。
マルス王子率いるアリティア勢は、王子を討とうと襲いくるアカネイア兵には刃を向けても、戦意を無くし逃げ惑うだけのグラ兵には手出しなかった。町を略奪して回るようなこともせず、ただシーマの居るグラ城の玉座の間のみを一心に目指してきた。
グラの民の血は一滴たりとも流されていない──。すでにその報告を哨兵により受けていたシーマは、ほどなくして現れたマルス王子を驚きの表情で迎えた。
シーマに向かい、王子は言った。グラに対する敵意は無い。アリティアとグラは元は一つの国から分かれた兄弟国であり、長く友誼を重ねてきた同盟国と戦いたくはない。もう一度、やり直したいと。
王子の思いに、シーマも答えた。グラの民をアリティアの民として受け入れてほしい。この国のすべてを、王子に託す、と。マルス王子は澄んだ笑顔で、はっきりと肯いた。和やかな表情で語り合っていた王子と王女は、笑顔のまま、お互いの前を辞した。マルス王子は腹心の老将のもとへ歩んでいき、シーマは傍らのサムソンに、安堵に満ちた笑顔を向けた。久方ぶりに見たような王女の笑顔にサムソンも目を細める。
「それでよいのか? シーマ……」
「ああ。マルス王子なら誰よりも見事にグラを治めてくれるだろう。これでよかったのだ」
晴れやかにシーマは言った。その笑顔を見て、サムソンは深く頷いた。
「ならば、よかった。これで俺も心置きなく立ち去れる」
「サムソン……? 行ってしまうのか」
輝くようだったシーマの笑顔が、見る間に消えていく。
「グラが戦火に巻き込まれることはもうあるまい。もう俺に用はなかろう。あとは王子が守ってくれる」
俺の役目は終わった。シーマが無事でさえあるのなら。
己に言い聞かせるようにサムソンはそう思い、シーマから顔を背けた。
「行くな!行かないでほしい……」
思いがけず耳を打った王女の鋭い声にサムソンは驚き、思わずシーマを見た。シーマ自身も、己の声に驚いたように口を両手で覆っている。頬を真っ赤に染め上げ、サムソンの視線から逃れたいように、深く俯く。
「……シーマ」
無意識にサムソンは微笑した。温かなものが胸にこみあげる。
「お前らしくもないな。行こうとする者を引き止めるなど……」
わざとそんな口を聞いた。そうしなければ、疼きさえ感じるこの胸の慣れない温かみに、自分の心を溶かされてしまうような気がした。
「だが、よかろう」
サムソンは言った。国という重いくびきから漸く解き放たれた、目の前の一人の娘に向かって。
「俺を必要というのなら、どこにも行かぬ。どこまでもお前を守ってみせよう。それでも良いのだな」
俯いたままサムソンの言葉を額に受けていたシーマは、そっと顔を上げた。
「はい……」
慎ましく、幸福に照り映えた清らかな笑顔で、シーマは頷いた。
(3)
夕空の緋色が、東より下がりゆく群青の緞帳に覆われていく。
落ち着きを取り戻したグラの城下町はひっそりと静まり、空に浮かぶ半欠けの月と星の光とを穏やかに受けていた。
アリティア軍は明日、アカネイアの意表を突くためにわざと険路であるアドリア峠へ進軍することを決定し、グラに一夜を逗留することとなった。
サムソンはグラに来た時に割り振られていた城内の一室で、寝台に仰向けとなり、窓から覗く夜空を見つめていた。不思議と命を拾ってしまった。そんな思いがあった。テーブルに置いたランプの光が、サムソンの青い瞳をいたずらに刺す。
静かだった。グラ兵たちは皆己の生まれた家に帰った。兵士という兵士が誰もいなくなった今、この棟に残っているのはサムソンだけだった。石造りの壁に囲まれた、ひやりとした冷たさが肌を刺す。窓に吹き寄せる夜風と、木々のさざめきがサムソンの耳にゆらゆらと響く。
このような静寂がこの国を訪れたのは本当に久しぶりのことなのかもしれない。サムソンは思った。今日はグラの歴史が変わった日であったのだ。この日を境にグラの民に安息の日々が訪れんことを、シーマならずともサムソンは強く願った。
シーマは今、どうしているのだろう……。
ごく自然にそう思い及び寝返りを打とうとした時、扉を叩く音が聞こえた。
サムソンは寝台から身を起こし、何気なく取っ手に手をかける。
そこにいた意外な人物に、サムソンは目を瞠る。
艶光る髪が火影に映える。先ほど思いを致したばかりの娘が、王女にしては質素すぎる衣を纏った姿を、手に持つ燈火の元に浮かび上がらせていた。
「どうした。お前……」
こんな夜中に、とサムソンが言おうとする前に、
「……眠れないんだ」
シーマは短く言った。そのまま、堅く口を噤んでしまう。
次の言葉をサムソンは待ったがシーマは微動だにせず、手にした燈火の影ばかりが、城内を抜ける風の中に揺らめいていた。対処に困ったようにサムソンは頭をかく。肩布をかきあわせているシーマの手が寒そうに震えているのに気付き、とにかく言った。
「入れ」
中へ通して、椅子を勧め腰掛けさせる。サムソンはそのまま窓辺に立った。
「すまぬ。サムソン。邪魔をしてしまって……」
己が持ってきたランプの火を消し、申し訳なさそうにシーマは言う。サムソンは軽く首を横に振った。
「いいや。どうせ寝付けずにいた。それよりもお前だ。お前こそ早く休んだほうが……」
「……」
また、シーマは黙ってしまった。長いまつげを伏せ、膝の上に目を落としている。
夜半に訪れておきながら俯いたままサムソンを見ようともしないその仕草と、何かを思い詰めているように引き結ばれている唇で、シーマが一体どんな決意と共に王女の部屋から遠いここまでやって来たのか、サムソンには容易に察することができた。
「……」
どんな言葉をかけても野暮にしかならないように思え、サムソンも黙り込む。いつか部屋に漂い始めた粘り気を含んだ空気をも、持て余した。
それでも。
「……シーマ。自分の部屋へ戻れ。もう休んだほうがいい。お前のことだ、昨日も眠っていないのだろう? 少しは身体を休めなければ……」
強いて同じことを言った。俺は逃げているのだろうか? サムソンはそんなことも考えた。お笑い草だ。かつて名の知れた剣闘士として数多の戦いを潜り抜けてきた己が、目の前にいる、武器一つ持たぬ一人の娘に怯えている?
「……」
「シーマ」
「いいんだ」
「……」
「眠れない。目を閉じるとお前のことが頭に浮かんで。どうしても、会いたくて……」
飾り気の無いその言葉に、サムソンは益々途方に暮れた。シーマは目を伏せる。
「迷惑だと分かっていても……」
「迷惑などと。そうではないが」
そうではない、が。
生涯をかけ守ると誓った女性が己への一途なまでの愛情を示して、手を伸ばせば届くところに座っているのだ。こうして言葉を交わすだけでいるのは正直苦しかった。
「どんなことになっても知らんぞ」
気が付けば、陳腐でさえあるそんな言葉をシーマに向かって投げつけていた。
シーマは顔を上げ、かえって安心したような微笑を浮かべた。己の意が通じたことをサムソンの言葉で悟ったようだった。
「望むところ……だ。私にはもうこんなことしかお前にしてやれることがない。この他には何も思いつかないのだ。お前にはまだ礼も言っていなかった。もう王女ではない……いいや、最初から王女であるかどうかも分からないような私だが……。それでも、こんな私でも、お前は……。これはせめてもの礼なのだ。そう思ってくれればそれでいい」
「礼……」
呟くと、サムソンはそれをきっかけとしたように決然とシーマに足を向けた。高く鳴る靴音にシーマは僅かに身を竦ませ、怯えを隠し切れない目でサムソンを見上げた。
シーマの見守る中、サムソンはシーマの前に片膝をついた。不安げにしている、彼女の瞳を深く見つめた。
「シーマ……礼などいらん。お前が王女であろうと、そうでなかろうと関係は無い。俺はずっとお前自身に仕えていたのだから」
シーマの瞳が見開かれる。手を伸ばし、息を詰めたように固く握りしめられた彼女の手を、そっと包んだ。
「あの落日を共に見たあの時、俺は命にかえても、お前を必ず守り抜いてみせると己に誓った。俺の全てをお前に捧げたとしても悔いはないと……。この気持ちをお前に伝える時が来るとは思わなかったが……。……礼などいらんのだ。お前のそばにいられるのなら」
「サムソン」
シーマの声が濡れる。美しい瞳から見る間に涙が溢れ、サムソンの手と共にシーマの手指を濡らした。
「お前を愛している。シーマ。受け取ってくれ……俺の命を」
涙で濡れてしまった彼女の手の甲に、誓いを立てるようにサムソンは唇を押し当てた。さざ波のようにシーマは唇を震わせる。
「あ……ああ。サムソン」
椅子から離れ、すがりつくようにシーマはサムソンの胸に飛び込んだ。
「サムソン……嬉しい……。私も……私もあなたを愛しています。サムソン……ああ……ありがとう。ありがとう…………」
涙の筋を幾つも頬に描き、シーマはその言葉を繰り返す。
「シーマ……だから礼など」
サムソンは小さく苦笑するが、シーマはいやいやをするように激しく首を横に振る。なおサムソンの胸に顔を押し付け、声を殺して泣き続ける。
サムソンは静かにシーマの身体を抱きしめて、震えるその背を撫で続けた。彼女が泣き止むまで……その心の中にずっと溜め込んでいたのだろう澱を洗い流してしまうまで……サムソンはそうするつもりでいた。
幾度か、月も雲に隠れた。ようやく涙も尽きたのか、シーマは恥じらいながらサムソンの胸から退いた。伏せた睫毛に硝子のような涙の粒を宿したまま、そっと、言う。
「サムソン……。私からも。お前に捧げたい。お前に私の命を……すべてを……」
頷くように、サムソンは深くシーマを抱きしめる。慎ましく差し出されたシーマの唇に、熱い己の唇を重ねた。
(4)
こんなにも細い体だったのか。
シーマを寝台に優しく組み敷き、その白い裸身に幾度も口づけを送りながら、サムソンは今更のようにそう思った。
腕も、腰も。うかつに抱けば折れてしまうのではないのかと思うほど細い。これでよく倒れずにいたものだ。薄い双肩に、重すぎるほどの荷を負って……。
「ん……」
サムソンが乳房に唇を置くと、シーマは恥ずかしそうに身をよじった。もう片方にも掌を置き、円を描くようにゆっくりと揺らす。シーマの吐息が浅く乱れる。色づいた突起を甘く吸い上げた。
「は……」
音を立て、舌で転がす。シーマの頬が徐々に赤く染まっていく。
「ん……サムソン…………」
シーマの声に心地よく耳をくすぐられながら、サムソンは胸元から腰へと愛撫を続け、ゆるゆると下腹に手を伸ばしていく。
「うっ……」
姿良く伸びた脚の間に入り込み指を忍ばせると、シーマは低く呻いた。そのままサムソンはかき分けるようにして奥へ進める。何者にも許したことのないその場所は熱く、乾いてもいた。まだ蕾でしかないその身体を開かせるため、サムソンは時をかけ丹念にシーマの中を指で探った。
「……は……ぁ」
様子を変えたシーマの吐息と共に、温かな湿りがサムソンの指に纏いつく。シーマの身体が変わっていく。熱く甘やかなシーマの吐息に己の身体が熱されていくのを、痺れるような思いと共にサムソンは感じていた。深く、中を穿ち始める。
「ん……ああっ」
シーマは高い声を上げた。入り口はすでにとろけるように柔らかく、指に絡まる濡れた響きが大きく、深くなっていく。充分にシーマが整ったと見、そっとサムソンは引き抜いた。薄くシーマは目を開く。
「シーマ……」
呼びかけ、サムソンはシーマの手を取り、自らの部分に触れさせた。初めて触れたそれの熱に、怯えたようにシーマはサムソンを見たが、やがてこくりと、小さく頷いてみせた。サムソンはシーマの髪を愛しげに撫で、口づけを落とす。
彼女の上に覆い被さり、ゆっくりと、サムソンはシーマの躰に身を沈める。
「あっああっ」
初めて男を迎え入れる痛みに、救いを求めるようにシーマはサムソンにすがりつく。
サムソンは深くに侵入する。異物を拒んで抵抗するシーマの純潔を押さえ込み、さらに奥へと自身を進めた。
「あっ……ああああっ」
悲鳴が上がる。シーマから流れた鮮血がシーツを汚した。サムソンは動きを止めた。なすすべもないようにシーマの髪を撫でつける。シーマのまなじりに浮かんだ涙を拭った。唇を押し当て、舌に吸い取る。息を荒げていたシーマは、サムソンの手を取り、頬に当てて首を横に振った。まだ引かぬ苦痛に顔をゆがめながらも、懸命に微笑もうとしている。口づけをねだるように突き出された唇を、夢中になってサムソンは吸った。熱く舌を絡ませ合い、激しく吐息を交し合う。
再びサムソンは動き始める。握り合っていた手を解き、シーマの手指と絡め合わせた。ぎゅっと強く、シーマはその手を握りしめる。
「はっ……ん……」
儚いほどの吐息を漏らし、サムソンの重みをシーマは一心に受け止める。あくまで緩やかなサムソンの動きや、間断なく送られる口づけの雨に、真珠色のシーマの肌が、薄紅色に上気していく。
「あっ……んんっ……」
先端を含まれながら責められて、シーマは髪を振り乱す。歓びの声がかすかに浮かび、白いおとがいが反らされた。
「シーマ……」
囁くように熱っぽく名を呼び、サムソンはシーマをきつく掴んだ。壊れそうな腰を持ち上げ、少しずつ速度を上げていく。
「あっあああっサムソン……!」
貫かれ、揺さぶられ、シーマの声が高まっていく。サムソンを求め、その手をしっかりと握った。指を解き、サムソンはシーマの手指を握り返した。涙を浮かべ、シーマは幸せそうに微笑んだ。
絶頂の訪れに低く呻き、サムソンはシーマに精を放った。
「あああっ……!」
最奥に熱い飛沫を浴びせかけられ、シーマは悲鳴を上げる。全てをシーマに注ぎ込み、荒く肩を上下させながら、倒れ込むようにしてサムソンはシーマの隣に身を横たえた。
(5)
二人で、空を見つめていた。
矢車菊の青に似た空が、少しずつ水色の輝きを増していく。
「きれい……だな」
潤んだ瞳に交歓の余韻を残し、サムソンに寄り添いながらシーマは言った。
「ああ」
胸に抱くシーマの髪を優しく撫で、サムソンは頷く。返事だけでは足りないように、髪に、額に口づけを送った。夢見るように、シーマは唇が降りくる瞼を閉じる。
「そろそろ戻らないと……」
淡く頬を染め、シーマは言う。
「シーマ……無理をさせたな」
そうサムソンが気遣うと、息もつけなかった夕べを思い出したのか、シーマは赤い頬をさらに赤くさせた。シーツに隠れ、消え入りそうに小さくなる。サムソンは笑った。
「……幸せ、だった。夕べは……生まれて初めてなぐらいに……」
シーツの奥から、目だけをサムソンに向ける。
「お前に出会えて、本当に良かった……」
そう言って、花のように微笑んだ。シーマの手を、サムソンは取った。手首ごと弱く寝台に押し付け、シーマの唇に唇を重ねる。
葉擦れの音が渡っていく。飽かず、二人は口づけを繰り返した。
「サムソン……お前はこれからどうするのだ?」
ふとしたシーマの問いに、サムソンは沈思する。
「俺は……アリティア軍と共に行こうと思う。この戦争を終わらせたい。あの王子なら、きっと戦が終わった後に平和な世界を築いてくれるはずだ」
「……。お前が行くというのなら……私も行く……」
思いがけない言葉に、サムソンは思わずシーマを見る。
「ばかな。お前までが行かずともいい」
シーマは首を横に振った。
「アリティア軍にはシスターのみならず、女性の騎士も多く従軍していると聞いている。足手まといには決してならぬ。私も戦いたいのだ。お前と共に……」
サムソンはシーマの顔を見守っていたが、シーマの瞳に強い決意の光を認めると、諦めたようにかぶりを振った。
「分かった。お前の頑固さは承知している……」
「ふふ……」
微笑むシーマの身体を、サムソンは抱き寄せる。渾身の愛しさを込めて、強く、強く抱きしめた。
「シーマ……俺が守ってみせる。お前を必ず、どこまでも……」
頬を寄せ、唇を合わせた。もう一度手を取り合って、互いの身体に溶けてゆく。
陽は落ち、また、昇る。
曙光を待ち望む空の光が、柔らかに二人を包み込もうとしていた。
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