〜 佐保姫 〜







 桜木連なる山の中腹。
「よっこいせぇっと!」
 神崎十三は花の下で、荷物を背から一気に下ろした。
「あー、たまらんわ」
 言って、肩をこきこき鳴らす。荷であったつづらは、人間の大人をすっぽり納められそうなほどに大きい。見るからに重たげなそれを一人で負って、一条家から歩いてきたのだ。
「遅い、十三!」
 弾けるような声が飛んだ。見てみると、彼の居候先の家の娘、一条あかりが鳥がらのような腕を組み、未熟な胸を反り返らせて立っている。
「遅いて、お嬢」
 不平たらたらに十三は言う。
「そんなもん、手ぶらのお嬢らと比べられたらたまらんがな」
「何言うてるねん、れでぃの荷物任せたってんねんで、光栄に思いぃな!」
「へぇへぇ、そういうことにしときまっさ」
 相変わらず無理のあるあかりの口ぶりにも、十三は慣れたものだった。大概のところで切り上げる。
「それよりお嬢、中のもん出さんでええんかいな。聖らも?」
「あ、そうやそうや!みんなー、荷物届いたでー!」
 くるりとあかりは身を翻す。その先にはあざやかな緋毛氈が広がっており、あかりの兄である道磨と、友人である七瀬聖、八幡葵、九条静が集っていた。
「ほんまに?十三、お疲れさんー!」
 一番に走ってきたのは聖だった。あかりのように活発な性格で、あかりよりも血の気が多い。その聖のあとを、口数が少なくおとなしい静と、いつも人より一つ動作の遅れている葵とがとことこやってくる。
「あ、ウチも…」
 葵よりもさらに遅れて、一人の娘が立ち上がりかけた。
 気付いたあかりが声を上げた。
「あ、おねいちゃんはそのまんまでええて、用意やったらウチらがするから!」
「でも」
「ええのええの、あっちー、おねいちゃんの相手したって」
「ん〜?ん〜」
 あかりに促され、葵が少女のそばに座る。娘はそれで動くわけにもいかなくなって、もといた場所に腰を下ろした。
 淡い色の髪が春の陽に透けるようだった。あかりの年の離れた姉、ひかりである。
 もともと体が弱かったのが、ちょっとした冬風邪をこじらせ、長く顔色が優れなかった。それが暖かな春を迎え、ようやくつつがない毎日を送れるようになったのを、家中で誰よりも喜んだのはあかりだった。桜が咲いたら花見に行こうと、まだ蕾も膨らまぬうちから待っていたのだ。
 待ちに待った桜が咲くと、あかりは子狐のように俊敏になった。楽しい花見の一日を演出するために、必要と思えるものを思いつくだけ、十三に押し付けたのだった。もちろん抜け目の無い聖と、それに引っ張られるような葵と、静までもがあかりや聖に押し切られる形で、こもごものものを託してくる。
「ええやん、帰りには楽になるねんから」
 など、勝手なことを言い立てられているうちに、荷は好き放題膨らんだのだ。それらの全てが彼女たちの期待であると思えば軽いものだと、十三は無理にでも思い込むことにしている。
 少女たちはつづらに飛びついて、わいわいとやっている。十三はその賑わいから外れた桜木に背をもたせかけ、目を閉じた。あかりの目付けである自分が、彼女に苦労をかけさせられるのはもう毎度のことだった。彼女たちの花見が終わるまで、浅い眠りでも盗もうと思った。
 うららかな日差しは瞼をくすぐり、風は花々の香りを運んでくる。十三は、真綿に包まれていくように、しっとりとした眠りに落ちていくのを感じていた。少女たちの華やいだ声も、どんどん遠くなっていく。弾けるおしゃべりも、次々と開かれる重箱の音も、屈託のない笑い声も。
 眠りへ落ちる瞼の裏に、美しい娘の笑顔がきらめいたような、気がした。




「花、散るときもきれいなぁ」
 誰かの声で、十三は目を醒ました。
 宴も半ばを過ぎたようで、ひかりが野点の炉の前に座って(そんなものまで用意してきていた)皆に茶を点ててやっていた。牡丹餅も大皿に盛られている。
「あ、十三、起きたみたいやでぇ!」
 聖の大きな声が響く。
「何、やっと起きたんかいな!」
 言いながらあかりがずかずかとやってきて、丸太めいた十三の腕を持ち上げようとした。
「早よこっち来ぃな、おねいちゃんが寝かしたりゆうからほっといたったけど、せっかく花咲いとんのに一人で寝ててもつまらんやろ!しーさんがぼたもち作ってきてくれてんで、十三の分も別に用意してくれてるらしいから、皆で食べよ」
 あかりが手を引っ張るので、十三は立ち上がった。見てみると、毛氈の一角に大きな空間が開いている。十三のために空けてくれているらしい。
「ほら、早ぅ!」
 あかりに促されるまま、十三は毛氈に腰掛けた。大柄な十三が加わると、たちまち毛氈の上は狭くなる。
「ああ、やっぱ狭いなぁ」
 からから聖が笑う。
「十三ほんまでっかいもんなぁ」
「道磨はひがんどる」
「何を」
「こらこら道磨、聖、暴れな」
 たしなめる静が、ひかりからの茶を回していく。皆はそれぞれ、奔放と呼べるような作法で茶を楽しんだ。
「はい、十三っ」
 あかりの手から湯気昇る茶椀を渡された。十三は掌で、その温もりを包んだ。
 甘いものを食べ気持ちも寛ぎ、少女たちは上機嫌で、今度は甘酒を汲みながら他愛ないお喋りに興じ出した。一人だけ少年で女たちの輪に混じれない道磨も、隣に腰掛けてきた静と、その米粥を醸した飲み物を交わして話をしたり、花の姿を眺めたりと和やかな様子でいる。
「十三さん」
 ふわりとした声が落ちた。十三は隣に首を動かし、慌てて居住まいを正す。
「ひ、ひかりちゃん」
 ひかりは、甘酒の斗を掲げていた。
「十三さん、今日はありがとうございます。いろんなもん、運んでくれはって」
 細い指を毛氈につかね、十三に頭を下げる。
「そんな、ええ、ええ、ええんですひかりちゃん、それがワシの仕事なんでっさかい、ひかりちゃんがそんなん気にせんとってください」
 いつになく殊勝な口調になる。居候先の総領娘ということもあるが、それ以上に、十三はひかりには弱かった。白萩のように優艶な風情と、野菊の如き清楚さを持つひかりの前では、うっかり己の地は出せない。荒々しいところを見せたりして、このなよやかな娘を驚かせたりしないように、十三はいつも気を使った。
 そんな十三の心中も知らぬげで、ひかりはただ、首を振った。
「だって、あかりいつもあんな調子でしょ、ほんま十三さんにご苦労ばかり…」
「そんなことないです。ええんですて、ほんまに」
 十三は、ひかりと正面を向いた。
「お嬢と一緒におったら退屈せんでええですわ。そら面倒なことに山ほど巻き込まれることもありますけど、ワシはワシで面白うてやってるんです。ひかりちゃんからお礼言われるようなことなんか、なんもしてまへん」
「そんな、そうやろか?」
「そらそうですわ。って、まぁ、おやっさんにもきっつう言われてる言うこともあるんですが…。っちゅうかほんまはそっちのほうが大層なんですわ、おやっさんの怒鳴り声はお嬢よりもごっついでっさかいになぁ」
 言いながら十三は、一条家の当主幻貌の、一条の子たちの父である人の顔真似をする。
「まぁ」
 説教の途中で長口舌に変わる姿を、あかりの供をした後には毎度と言っていいほど見せられているので出来ることなのだが、ひかりはくすくすと無邪気に笑った。
「でも、ほんまおおきに。十三さん、どうぞ飲んでくださいな」
 ひかりは言って、十三に酒の杯を勧める。十三は、困った。酒は飲めない。
「あ、ひかりちゃん、ありがたいですけどワシ下戸ですねん」
「まぁ、そうなん?ウチ、なんも知らんで…みんな好きゆうてよう飲んでくれるから、つい」
 すうっと、ひかりは俯いてしまった。この口ぶりからすると、この白酒はひかりが作ったものらしい。
「えっ、あっと…」
 思いがけず翳った佳人の花顔に、十三は慌てた。
「いやあの、すんまへんひかりちゃん、下戸やなんてウソですウソ。ワシ、飲ませてもらいます!」
「おおきに」
 ぱっと笑顔になって、十三の杯に白い液体を流し込む。
 十三は苦笑をもってそれを受けた。本当は酸味や苦みしか感じない酒などというものは大の苦手なのであったが、十三はこの美しい人の顔を曇らせることもできなかった。
 この笑顔のためになら、と杯を傾けようとした時、
「あ」
 ひとひらの花びらが杯の面へ舞い込んできた。
 ひかりは笑った。花の生まれた先を求めて、白いおとがいを反らせる。
 春風がゆらゆらと花を揺すって、花のかけらを降らせている。
「きれい」
 呟く様は、白百合に似ていた。まるで光を放つかのような麗しさに、十三は、彼女の顔から目を離せなかった。
「ねぇ、十三さん、きれいねぇ」
 浄らかな笑顔を十三に向けた。
「ほんまですなぁ」
 声を詰まらせ、十三は花の咲かない草地のほうに俯いた。ひかりは首を傾げかけたが、ふいに、その肩を後ろから叩く人がいた。ひかりが振り返ってみると、道磨が立っている。
「ねいちゃん、ねいちゃん来たってえな、あかりがさっきからうっさいねん」
「なぁに、どないしたん?」
 弟妹たちをひかりは振り向く。あかりが、両手に何かを差し上げていた。十三に負わせた荷物の中から取り出したのだろう。
「おねいちゃん見て見て、ウチおもろいもん持ってきてん!おるごーるゆうてな…」
 道磨がひかりの袖を引き、あかりのもとに連れていく。
 それきり、姉と兄と妹は、十三のことなど忘れてしまったように自分たちの環を作ってしまった。
 置いていかれた十三は、かえってそれを幸いにした。たおやめそのもののひかりの姿は眩しすぎ、あまり急に近くに来られると、十三は他愛なくも、どうしていいのか分からなくなるのだった。
 ひかりは離れ、十三は今は安心したように大きく息を吐き、まどいに和む兄弟を遠くより見、もう一度、花の白天井を見上げた。
 桜は、儚い身空を惜しげもなく、東風の前に震わせている。
 風に任せたなよやかな姿、きれいだ、と十三は思う。
 美しいのは花ばかりでない。花に佇む、人々の笑顔。
 それを近くに眺められる、己の僥倖を十三は思う。
 どれほど高貴な身分に生まれついたとしても、こんな幸せはどこにも得られないだろう。
 こうした時間を得るためになら、自分はどんなことだってしてみせる。
 桜ごと、十三は一気に酒を煽った。滑るように喉元を駆け抜けていく。
 酒は甘く、温かだった。










背景素材:妙の宴