〜 疾く過ぎゆかば 〜
 
 
 
 
 
 
  
 望月の光は雲へと隠れ、浮かぶ影はおぼろげだった。 
 夜の道を、兄弟たちは提灯を照らして歩いていく。赤毛の少年、金髪の少女、黒髪の子ども。似ても似つかぬ彼らの容姿だが、彼らにそれを気にする様子は、寸毫も見られない。 
 大地にぼやけるあえかな影を踏み踏み、末弟の楓はひとり遊びを繰り返す。 
「遅くなっちゃったね、守矢」 
 金髪の少女、長姉の雪が隣の少年に呼びかける。白い肌がその名の如く、雪のような銀色に照らされていた。 
「そうだな」 
 淡々と、長兄の守矢は答えた。見るからに利発そうな、切れ長の瞳をしている。 
「でも、老師さまもお元気そうでよかった・・・っ」 
 雪の声が、不自然に飛び跳ねる。闇の中、石くれにつまずいたようだった。たまらず平衡を崩す雪へ、守矢はとっさに手を伸ばしその身体を支えた。提灯が揺れ、淡い影が傾いた。 
「雪お姉ちゃん、大丈夫?」 
 楓がすぐ、駆け寄ってくる。雪は頷いた。 
「うん。平気。ごめんなさい、守矢」 
 守矢は無言で首を振る。気をつけろよ、とも言わなかった。 
 雪の瞳は水のように蒼い。濃い闇にも強い光にも弱かった。守矢はそれを、知っていた。 
 提灯を右手に持ち替え、雪の手を取った。雪の頬がほのかな桃色に染まる。 
「ありがとう」 
 消え入りそうな声で、雪は言った。頷くように、提灯が揺れた。 
 はにかみ、雪は爪をいじった。ふいにぐいと、袖を引っ張られる。 
「ねぇねぇお姉ちゃん、僕つかれたぁ」 
 はしゃぎ疲れた楓が、雪の袖をしっかりと掴んでいる。 
 幼い秀眉を、雪は曇らせた。これが始まると楓は手強い。 
「楓、もう少しよ、頑張りなさい」 
「やだよぅ、ねーお兄ちゃん、おんぶして」 
 地団駄踏んで楓は言うが、守矢は無視して、振り向きもしなかった。 
「ねぇ、ねえってば、お兄ちゃん、ねえ、おんぶおんぶ」 
 言い募る楓があまりうるさいので、とうとう守矢は口を開いた。 
「あと半里も無い。弱音を吐くくらいならついてこなければいい」 
「だってぇ」 
 唇を尖らせ、楓はぷうっとむくれた。雪の袖から手を離し、足を止める。 
「疲れたんだもん、お兄ちゃんおんぶしてよぉ」 
 そのまま手足を縮め、楓はしゃがみこむ。 
「でなきゃ動かないもん」 
 守矢は肩越しに、幼い弟を振り返った。 
「知らんぞ、獣に食われても」 
 守矢の言葉にもぐっと楓はうつむき、真っ黒い地面を睨み続けた。 
「守矢、私が・・・」 
「雪」 
 守矢は厳しく言った。 
「甘やかすと楓のためにならん」 
 己を亀と思いこむように、楓はそのまま動かない。 
「だって、本当に山犬が出たら」 
「・・・・」 
 こと、孤独に関することに雪は臆病だった。天災でもぎ取られるようにして親を亡くしたことに、関わりなしとは言えない。 
 守矢は、手の力を緩めた。弾かれたように雪は楓へ駆け寄る。 
「やれやれ・・・」 
 雪に手を引かれて立ち上がる楓の前へ、守矢は背中を向けしゃがみこんだ。 
「わーい」 
 とたんに笑顔になって、楓は守矢の背中へ飛びついた。提灯は、雪が預かった。 
 風が吹いた。葉ずれの音が、夜に響く。 
 薄雲が消え去り、音のない雨のような月の光が兄弟たちに降り注いだ。 
「わぁ、きれい、きれい、お兄ちゃんお姉ちゃん、お月様」 
 楓がはしゃぐ。 
「きれいだねえ」 
「きれい・・・」 
 つぶやくように、雪も言う。守矢は、月を見上げた。よく磨かれた、鏡のように美しい。 
 湖の底のような光の中を、兄弟たちは歩き続けた。 
「・・・あ」 
 ふいに雪が笑う。守矢は振り向く。 
「どうした?」 
「楓、寝ちゃったわ」 
 背中からずり落ちかけた楓を、守矢は負い直した。 
「静かでいい」 
 重なる青い影が、くっきりと長く伸びている。月を見て、守矢は言った。 
「雪、あかりを消せ」 
「えっ?」 
「月があれば、必要ないだろう・・・」 
 雪は、言われた通りにした。赤い光が落ちると、道の青白さが一段と増した。 
 足下も、よく見える。 
 下を向きつつ、雪は歩いた。先を歩く守矢の足取りは、ほんの少し、重い。 
 もう、手はつないでくれないだろう。もじもじと雪は裾をまさぐる。 
 守矢だって疲れているのだ。翁の里から自分たちの家まで、ずっと歩き通してきたのだから。もちろん雪の足も、痛まないわけではない。けれど、守矢が何も言わないから、雪も黙っているのだ。守矢がいつもの守矢でいるうちは、雪は平気でいられた。 
 楓の寝顔はどこまでも幼く、生まれたばかりの赤子のように安らかだった。雪は正直、そのほっぺたを思い切りつねってやりたくなった。さっきまで楓に優しかったことも、すっかり忘れて。 
「雪」 
 声をかけられ、雪はわたわたと手を振り回す。 
「手」 
 一言だけ、守矢は言った。何のことか分からない。 
「?」 
「手を」 
 守矢の言葉は、時々極端に少ないのだ。それでも言われるまま、雪は手を伸ばした。 
 雪の柔らかな手のひらに、マメだらけの守矢の手が触れる。雪は守矢を見た。守矢は、月を見ていた。 
「いつ・・・」 
 森へ吸い込まれるような小さな声だったが、雪にははっきりと、届いた。 
「月の光がまた消えるか、分からないからな・・・」 
 雲は絹のように流れ、ちぎれて空に浮遊している。雪はただ頷いた。深く、指に力を込めて。 
 三人の重なる影は天の船にいだかれ、どこまでも、青く清らかだった・・・。 
 
 
 
 
 
 
  
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