〜 Beautiful Days 〜







 ショッピングモール。
 放課後、草薙京は、片手に学生カバンを抱えながら、ぶらぶらと所在なしに歩いていた。
 施設内を歩く買い物客は、買い物をしている主婦らしき人々の他、京と同じように学生服を着た生徒たちが多かった。二人連れで、あるいは大勢で、思い思いの時間を過ごしている。
 京もいつもであれば恋人のユキと来るところなのだが、ユキは今日は部活だった。こんな時は京はいつも自分の暇を持て余す。格闘大会など、「特別」なことも待ってはいない日常には。
 まっすぐ家に帰ろうかとも思ったが、久々に服でも見に行こうと思い足の向きを変えた時、
「あっ、草薙さーん!」
 唐突に、自分の名を呼ぶ大声が京の耳を貫いた。
 誰かなどと思うまでもない。元気の良すぎるあの声は、京の後輩の矢吹真吾のものだ。裏表の無い明るい気性なのは良いのだが、一つのことに夢中になりすぎるところもある。京は無視しようかと思ったが、真吾の性格なら一度京の姿を見つけたが最後、どこまでも追いかけてくるだろう。今のような、辺りを憚らぬ大声を上げながら。
 心底迷惑そうな顔をして、京は振り返った。
「ああ、いいところで会えた!草薙さん!」
 すでに京に追いついていた真吾は、軽く息を切らせて、言う。
「あのっ、草薙さん!お願いがあるんです!」
「何だよ?」
 寄り道をしたことを後悔しながら、無愛想に京は答えた。
「買い物したいものがあるんですけど、何買っていいのか全然分からないんですよ!助けてほしいなぁって…!」
「あぁ…?」
 分からないのはこっちのほうだと、京は眉をひん曲げた。



「…ったくよ……」
 その手にライオンのぬいぐるみをつまみ上げ、京はため息をついた。
 ショッピングモールの一角、少女向けの雑貨屋に、京と真吾はやってきている。
 勿論京の趣味ではないし、真吾のものとも違った。
 もう一度、今度は深く、ため息をつく。
「真吾。お前なぁ、彼女でもねえ女へのプレゼントくらい自分で考えろよ」
 京の隣で背をかがめ、カチューシャやヘアゴムなどの小物をそれこそ目を皿のようにして見渡していた真吾は、心外とでも言うように体を起こした。
「彼女でもないなんて言わないで下さいよ、れっきとした俺の彼女ですよっ!」
「おめえはそう言うけどよ、別に付き合ってもいねえんだろ?」
 無情に京は切り返す。真吾に幼馴染の「彼女」がいるということは今までに何度か聞いたことがあったが、その実は、たまに一緒に帰るくらいの間柄だという。
 真吾は元気よく頷いた。
「はい!あ、えっとそりゃ、…だってしょっちゅうクラスで顔合わせますし」
「それだけで彼女って言われちゃ相手のほうが迷惑だろうぜ。はっきりと言葉にしねえと、女には分かりっこねえっていうぜ?」
「さすが草薙さん、詳しいっすね!…メモっとこ」
「燃やすぞテメエ」
「すみません」
「俺じゃねえよ、紅丸がそう言ってたんだ。こっちは聞きもしねえのに」
 そう、京は女性好きである格闘仲間の名前を挙げる。
「え、そうなんすか?」
「女のことならあいつに聞くのが一番いいぜ。踏んでる場数が違わぁ」
「はー…」
「メモっとけよ」
「は、はい。えーと、女の人のことなら紅丸さん、と…」
 熱心にメモを取る後輩の勤勉な姿を眺めながら、京はやはり真吾の「彼女」はさぞ迷惑に思っているだろうと思った。
 手帳を閉じた後、思い出したように真吾は顔を上げた。
「あ、それじゃ草薙さんはユキさんのことも紅丸さんに?」
「バカ言え」
「違うんすか?」
「紅丸はな、石コロにだって声かけんだよ。あいつのマニュアルは全部そういうので作られてんだ。俺が相手にしてんのはエアーズ・ロックだからな、そんなもんは最初から役に立たねえんだよ」
 自信に溢れた京の言葉だったが、言われた真吾は、首をかしげた。
「エアーズ…ロックっすか?」
 そう、聞き返す。
 京にしてみれば、世界にたった一人の、とでも言いたかったのだろう。
「ああ」
 京は答えたが、真吾はなお釈然としない様子だった。
「それは…草薙さん、いくらなんでもユキさんに失礼っすよ。岩だなんて…」
 当たり前というべきか、真吾は京の意図とは違った解釈をした。
「…ま、どうでもいいや」
 そ知らぬふうで、すぐ京は話題を切り替える。
「それより早く決めちまうぞ。そらあのぬいぐるみなんかいいんじゃねえか」
「適当に言わないで下さいよ」
「そう言うんだったらお前が決めろよ」
「だって、俺こういうの慣れてなくて…ホント、どういうのがいいんですかね?」
「だからそんなもんおめえにしか分かんねえって言ってんだろ、俺はおめえの言う『彼女』の顔も知らねえんだぜ?何やったら喜ぶかなんて分かるわけねえじゃねえか。だいたいプレゼントなんてわざとらしい、燃やせば消し炭になっちまうようなもん渡して何になるってんだよ?」
「なっ!!何言ってるんですか草薙さん!大切な彼女への誕生日プレゼントですよ?男として当然のコトじゃないですか!」
 昂然と真吾は声を上げた。
「そんなことでけえ声で叫ぶんじゃねえ!恥ずかしい!!」
 真吾よりもよほど大きな声を張り上げながら、京は真吾を怒鳴りつけた。
「す、すみません!!でも草薙さん、そんなのだったら草薙さんは今までユキさんにどうしてきたんですか?まさかプレゼントあげたことないとか…」
「んな訳あるか」
「じゃあどんなの…」
「そんなこと聞いてどうすんだよ」
「いや、参考にさせてもらおうと思って…」
「ふざけんな、ユキとてめえの女を一緒にするんじゃねえ。てめえはてめえで考えやがれ」
「そんなぁ、そんなこと言わないで教えてくださいよ、俺マジで何をあげたらいいのか分からないんですよ〜」
 泣きついてくる真吾の手を京はぶんと振り払った。
「ああもう、うっとうしい。ったくよ、何で分からねえんだか」
「? どうしたらいいんすか?」
 涙声の真吾から顔を背け、京は目の前に下がっていた、飾りがついたヘアピンを手に取った。淡い色をしたガラス玉が小さく光る。
「簡単だよ、相手の笑った顔を考えながら探しゃいいんだ。渡す時の相手の笑顔を思い浮かべながらな。そうすりゃ自然に見つけられるぜ」
「え」
 まともらしい京の返答に、真吾は目を丸くした。京は真吾をじろりと見る。
「何だよ、文句でもあんのか」
「いえあの、それも紅丸さんからですか?」
「違う」
「そうなんですか?あ、それじゃ草薙さんの体験談なんですね、今現在ユキさんにそうしてるんだ!わはぁ、生きた資料だなぁ、メモ…」
 嬉々として真吾は手帳を開く。
 ごつっと、鈍い音が重く響いた。
「いぃっ……たー!ひどすぎますよ草薙さん!拳骨は無いでしょ!親父にも殴られたことないのに!」
「上等だ、てめえ燃やしてやる!」
 熱を持った京の手が真吾ののど元めがけていく。必死になって真吾はもがいた。
「わー冗談です冗談!落ち着いて草薙さんー!!」



 青い空が広がっている。
 昼休みとなった高校の屋上で、安全柵にもたれていたユキは隣の京を振り向いた。
「ねえ京、昨日、真吾くんとお買い物に行ってたの?」
 ユキと同じように、安全柵によりかかって牛乳パックを手にしていた京は、危うくそれを地上へ落としそうになった。
「何で知ってんだ」
「友達から聞いたの。京と真吾くんが、女の子向けのお店の前でがやがやしてたって」
「はー…だから嫌だったんだよ。真吾が勝手にとりついてきたんだよ、俺が知った話じゃねえ」
「ねえねえ、何を買いに行ったの?」
「しょーもねえもんだよ、あいつの、彼女でもねえ女への誕生日プレゼント」
「全然しょうもなくないじゃない、大切なことでしょ」
「彼女でもねえ、だぜ?どうも真吾が勝手に思い込んでるみてえなんだよな。なのにプレゼントなんか贈って、迷惑にならなきゃいいけどな…」
「またそんなこと言う。真吾くんはマジメなのよ、ちゃんとそういうこと気にするんだから」
 ユキの声はあくまで柔らかだったが、普段KOFだの修行だのと「そういうこと」を気にせずにユキを置いていくことが多い京は、内心ひやりとした。
「俺が言ってんのはさ」
 と、慌てて言う。
「悪女の深情けって言葉がこの世にはあるってことだよ。真吾のやつ突っ走るタイプだからな、その辺り気をつけねえと、そのうち痛い目見るだろうってな」
「なんだかんだで心配なのね」
「泣きついてくんのがうっとうしいだけだって」
「ひどい先輩ねぇ…」
 ユキは笑って、屋上の外へ目を移した。
「あ、電車」
 遠景に見えるそれを指で示し、また笑う。
 その無邪気な横顔を、京は見つめた。
 昨日、真吾にはもっともなように講釈したが、実は京は、ユキには目立ったプレゼントを贈ったことがなかった。それどころか、想いをはっきりと言葉にして伝えたことすら少ない。
 何気なく学校で挨拶を交わし始めてさりげない会話を重ねるうちに、いつの間にか一緒にいることが当たり前のようになった自分たちだった。
 今更そんなことをしなくても。そんなことをしなくても自分たちは、いつでも笑顔でいるのだから。
 それでいいと思っていた。だから、そんなことは…と、京は思っていた…のだが。
「……」
 京は、ポケットを探った。
「ユキ」
「なに?」
「そら」
 無造作に、細いリボンで飾られたその紙包みを押し付ける。ポケットの中に入っていたせいか、少しリボンの端が折れている。
 ユキは瞬きをした。
「どうしたの?プレゼント…?でも私、別に今日誕生日じゃないよ?」
「んなこた分かってるよ。…まぁ、そうだな…ハッピー…アン・バースデーってトコだよ」
「何…?不思議の国のアリス?」
「そんなもんだよ。持ってろ」
 思いがけない贈り物に、ユキはしばらく手の中のものを驚いたように見つめていたが、
「うん…ねえ、開けてもいい?」
「ああ」
 ユキは封に指をかけた。そんなユキを横目で見ながら、京は鼻のあたりをかく。
 結局あの後、さんざん悩んだ末に真吾はキーホルダーを購入した。邪魔にはならないだろうし、始末に困るものでもないからと真吾は言っていた。自分に対する態度もそのようにおとなしくあってほしいと京は思ったのだが、口には出さなかった。
 店を出た後も真吾は京についてきたそうにしていたが、すぐに京は真吾を追い払い、足早に去ってみせた…その後で、また店に引き返してきてこれを買ったのだ。
「これ…」
 ユキは呟く。取り出したものを、そっと掌に乗せた。ガラス玉のついた小さなヘアピンが、太陽の光を反射している。
 店で真吾と話をしている時、手近にあったものなので取り上げたものだったのだが、その淡いガラスの色を目にした瞬間に、これはユキの髪に似合うかもしれないと、京はふっと思ったのだ。
 今まで京がユキにあげたことがあったものといえば、河原に落ちているつるつるの小石や、砂浜で拾った小さな貝がら。取るに足らない、くだらないもの。
 それでもユキは笑ってくれた。
 そしてヘアピンを見たとき、ユキにこれを渡したとしたら…と、京が心に思い浮かべたユキは、小石や貝を渡した時のように…間違いなく、微笑んでいた。
「…つまんねえもんだし、適当に使って…いいか、大事になんかすんじゃねえぞ。そんな安物、すぐ捨てちまっていいんだからな」
 京は早口で言い募る。几帳面なユキの性格なら、人から貰ったものを、まして京からプレゼントされたものを粗末にしたりはしない。ひょっとすれば宝物のように大切にして、いつまでも身近で愛顧するかも分からない。何気なく買ったものなのに、そんなことをされたら恥ずかしすぎてたまったものではなかった。それを京はうすうすにでも分かっているので、ことさらにそう言ったのだ。
「…うん」
 ぶっきらぼうな京の口ぶりの、その裏に隠れるものをユキは感じ取ったのか、ユキは素直にうなずいた。
「ありがとう…ねえ、つけてみてもいい?」
「…ああ」
 京は頷く。手を伸ばして、風から、ユキのばらつく髪を守ってやりながら。
 青空の下、ユキが輝く。
「…」
 そっと自分を見上げてきたユキの可憐なまなざしに、自分だけに向けられたその微笑みの愛くるしさに、甘く胸を締めつけられながら、ああ、そうなのか、と、京は思った。
 これだから、世の中の男たちはみんな動かずにはいられないんだ。
 目の前の君に、笑ってほしい。
 他愛の無い、取るに足らない、たった一つのこの想いのために。
「似合う…?」
 おずおずと、恥じ入りながらそう尋ねてくる恋人に京はもう一度頷いてみせ、優しく、その髪を撫でてやった。