クリスマス・イブの夜。
町は色とりどりの光に照らし出され、星のように輝いていた。
道脇に連なる店舗は、いずれも親子連れや恋人たちで賑わっている。
その一角、小さな花屋の前で、京とユキは足を止めた。
「花、なぁ」
呟きながら、真っ赤なポインセチアの前に京は屈む。ユキも一緒に足を曲げた。
柔らかなライティングの中、冬ばらが零れるように美しい。
「ったく、俺のおふくろもよ…明日はクリスマスなんだぜ?外国の行事だってのに、何で花なんか生けねえといけねえんだか」
「京、韻を踏んだの?」
「違えよ」
「いいじゃないの、お花はお花よ。季節ごとにお花を生けるなんて古風で素敵じゃない。それにね」
「なんだよ」
「お母様が、私たちが会う口実を作ってくれたのかも」
「…。ばか言ってろ。いくら俺が花屋に一人で入れるわけなくても」
「やっぱりそう言う?」
「ああ、それに口実がねえと会わねえわけじゃねえだろ」
「あ、京がそんなこと言うなんて珍しいわ」
「…どうだっていいだろ、そんなこと。それにしても、冬だってのにいろんな花があるんだな。何買ってきゃいいんだろうな?」
「? おうちを出てくるときにお母様に聞いたりしなかったの? メモを預かるとか」
「そんなもんどっかにやっちまったよ」
「もう、いい加減なんだから」
「ユキ、お前選んでくれよ」
「私が? 私、お花のことなんてよく知らないわ」
「俺のほうがもっとよく知らねえよ」
「詩人なのにね」
「…ここにこのままじゃ寒くてたまんねえ。早く選べって」
「はいはい」んr
澄んだ夜、空には星が明るい。
イルミネーションに彩られた遊歩道を、京とユキは花を抱えて歩いていく。
風が冷たいが、二人は気にしない。
「…こんな感じのでよかったのかな?」
「上等なんじゃねえの」
「京、真面目に言ってないでしょ」
「ばれたか」
「いっつもそうだわ」
「そうだっけな。…でもさ、ユキ」
「なあに?」
「来年のこの日さ、お前に別の花をやるよ」
「えっ?」
「今年はお前に何もしてねえから。今日だっておふくろの使いに付き合ってもらったのにさ。でも、来年は、やる」
「いいよ、別にそんなの。…って、いうよりも、どうして来年なの? 今年じゃないの?」
「だって今年は何も用意してねえもん」
「あ、そう…」
「がっかりしたか?」
「少しね。…でも、本当?来年はって」
「ああ、その日に咲くかどうかは分からねえけどな。でも俺が咲かせてみせるさ。もしも咲いたならその花は全部ユキのもんだよ。お前にやる。全部、全部、一つ残らず」
「何、それ?どんなお花なの?」
「お前もよく聞く名前のさ。ま、でっかさは咲いてみねえと分からねえけどな。さて、なんだろうな」
「何だかクイズみたいなこと言うのね。それじゃね草薙さん、そのお花は何色ですか? いっぱい咲きますか?」
「白いぜ。それは間違いねえ。一度でけっこう咲くだろうしな。それもその日の天気次第だよ」
「うーん…月下美人? …じゃ、ないよね。あ、分かった。カスミ草なんでしょ」
「あんなサボテンもどきの高飛車なのじゃねえよ。カスミ草…は、確かに似てねえってことはねえけど、ちょっと違うな。持って歩けるもんでもねえし。何せそんじょそこらの花とは訳が違うからな。まぁ、詮索はそのへんにしといて、来年を待ってろよ」
「京のけちんぼ、教えてくれたっていいじゃない」
「お楽しみはあとに取っとくもんだろ? 俺は一人っこなんだよ」
「そうね、ほんっとワガママ、京ってば。でもいいわ、待ってあげるわ」
「ああ、来年だ、必ず咲かせてみせるさ。もし、お前が俺のそばにいなくても」
「…えっ?」
「…何でもねえよ、俺みてえな奴と付き合う奴も珍しいって言ったんだ」
「…京?」
「……」
「ねえ京、そういうときはね、素直に『ありがとう』っていうものよ」
「……。…うるせー」
「それに私は、いつだって京のそばにいるつもりよ…。…あ、京、赤くなった」
「うっせえな、お前こそ何だよその耳、真っ赤じゃねえか」
「寒いだけよ、私は色が白いのっ」
「あ、そうだな。そういや鼻も一緒に赤えか。そら、あれに似てるぜ。サンタを乗っける、でっけえツノしたあの茶色い奴」
「…京っ!」
言い合いながらも、笑い合う。
彼らは幸福だった。
そして、砂が崩れでもするように他愛なく、時は過ぎ去る。
去年と同じ日、同じ花屋の前に、一人でユキは立つ。
光が輝き注がれる街道、しかしその隣に京の姿は無い。
京は夏から、消息不明になっている。事件に巻き込まれたらしいのだが、詳細は分からない。
多くの人に尋ねたが、事実に近い人間は少なく、誰も真実を知らなかった。
約束、したのにな。
悲しみはすでに飽和してしまい、どこか現実感を伴わないようにぼんやりとユキは思う。
店に並んだ花々は、どれもあの日と似たような姿。
京だけが、いない。
去年のこの日…京は、何の花をくれるつもりだったのかな?
頼りなく一年前を思ったと同時に、切るような風がぶつかってきた。
痺れたようになった耳を押え、ユキはふと、空を見上げる。
白いものが、舞い降りてくる。
「…?」
思わず、手を伸ばした。
掌に乗ったが、すぐに見えなくなる。
「…」
京の言葉が甦る。
咲くかどうか分からねえけどな。
ユキの心の中、優しく灯る炎のように。
でも、俺が咲かせてみせるさ。
溢れてくる。
それは彼女と同じ名のもの、空から大きさもまばらに、全てを埋め尽くすように、カスミ草のようにささやかに、手で触れれば、たちどころに、溶けてしまって。
「…京?」
呟いた。
もしも。
あの日の、京の言葉。
咲いたならその花は全部ユキのもんだよ。
お前にやる。
全部、全部、一つ残らず。
それは、空からの贈り物。
「…京……!」
涙が,頬へと零れ落ちる。
祈るように手を組み合わせた。
これは京の声、京の言葉。
伝わってくる。例え姿が見えなくても。
お前がいるから。
お前が、俺のそばにいてくれるから。
花が咲くよ、俺がお前を想うから。
どこまでもそれは、限りがないから。
これは、京の思い。
尽きることない、純白の雪華。
ユキの上、静かに、降り積もる。
日本から遠く離れた地。
そこにも、天の花は舞っている。
一人佇む青年は、遥かな銀色の空を見上げた。
届いた?
少女の顔が浮ぶ。雪よりも白く透明な花。
青年は静かに目を閉じる。冷たい花が、瞼に、頬に触れていく。
少女は笑っている。青年が深く愛する、あの暖かな微笑で。
伝わる、響く。
海の底の鐘楼のように、音が無くとも、波打つように。
「…ありがとう」
小さく、しかしはっきりと青年は呟き、強い足取りで歩き出す。
胸の中に決意を秘めて、しっかりと、大地を踏みしめて。
必ず帰るよ。
お前の、ところに。
白い大地に残された足跡は、どこまでも長く、続いていった。
|