〜 降りみ降らずみ 〜







 青い海が一枚の板のようになっていく。
 パプニカの景色が見る間に遠ざかる。
 バルジ塔の戦いから数日。パプニカ王女レオナと勇者ダイはパプニカの気球で、ベンガーナ王国へと向かっている。経済が発達したかの国は物資が豊富で、ダイのための武器を求めに行くつもりだった。
 ダイは、地上から離れたばかりのときは、臣下にも黙って気球に乗り込んでしまったことを案じていたが、今はそれも気にならなくなったようで、気球の籠からはしゃいだりして、飛んだり跳ねたりを繰り返している。ゴールデンメタルスライムのゴメと時々、じゃれあったりもしていた。
 レオナはそのあどけない様子を眺め、微笑んだ。
 ダイとは久しぶりに会ったが、無邪気なところは全く変わっていない。
 フレイザードと戦っていたときのダイは勇気を全身に顕した勇猛な竜のようであったのに、彼はやはり、まだまだ小さな少年なのだ。
 ほんの少し、レオナはほっとした。魔王軍との戦の連続で落ち着くことのない日々が続いていたが、元気なダイを見ていると、自分までが癒されるような気持ちになってくる。
「でもさ、すごいねダイ君」
 気球の高度を制御する紐の具合を見つつ、レオナは言った。
「何が?」
 きょとんとしてダイは聞き返す。
「魔法よ、魔法。あたしと初めて会ったときは一つもできないって言ってたのに、あのフレイザードとの戦いではメラができるようになってたじゃない?バダックに聞いたら、真空呪文も使えるようになったって」
「ああ、あれ」
 ダイは照れたように笑った。
「ちゃんと修行したんだ。ブラスじいちゃんに契約させられてきたのが今になって生きてきたってカンジで」
「良かったじゃない、やっぱりダイ君、才能あるんだわ」
 レオナの言葉に、ダイはとんでもない、というように首を横に振った。
「まだまだ全然ダメだよ。電撃呪文も上空に雨雲がないと使えないし、紋章の力をいつでも出せるようになれればいいんだけどね」
「紋章の力?バダックも言ってた、ダイ君の額に光る紋章が出てくるっていうやつ?」
「うん」
「ふ〜ん…」
 ダイが頷くが早いか、レオナは彼の前髪に掌を置き、その額をあらわにさせた。
「何もないけど?」
 水底の果てを探しでもするように、じっと深く覗き込む。
「いっいつもは何もないんだよ」
 いきなり迫ったセピア色の瞳に驚き、ダイは慌ててその手を払った。
「でもおれが激しく怒ったり、何かを強く思ったりしたら浮き出てくるみたいなんだ」
 頬を紅潮させるダイにも頓着せずに、レオナは素直に感嘆する。
「へ〜え。なんだかカッコいいわねぇ。選ばれた伝説の勇者ってカンジ」
「やめてよレオナ、そんな言い方。おれ、できれば自分の力で戦いたいんだよ」
「自分の力?どうして?その紋章はダイ君の力なんでしょ?」
「ううん、まだ思うようには使えないんだ。自分じゃ紋章が出てるかどうかも分からないし、ただ、頭がカーっとしちゃって何が何だかよく分からなくなるんだよ。そんなのよりはおれ…」
「自分の力だけで戦いたいのね?」
「うん」
「偉いよ、ダイ君」
 はにかんだようにダイは笑う。
「ダイ君のそういうところ、素敵よ。いつだって前に進もうとするから、だから戦いのたびに強くなれるのね。その調子なら、魔法だってもっともっと覚えられるわよ」
「えへへ…。でもさ、マトリフさんにはおまえは今は基礎をやれって言われたよ」
「あら、どうして?」
「おまえには敵に立ち向かっていく勇気があればそれでいいって。それが勇者のたった一つの武器だって。修行してくれるようにお願いしたんだけど、基礎のメディテーションだけで何も教えてくれなかったんだ」
 不服そうにダイは頬を膨らませる。
 呪文の威力を強化させるのがコンセントレーション、集中力であり、それを身につけ深めさせるためのものがメディテーション、瞑想だった。
 レオナは瞬きを繰り返す。
「何それ、メディテーションだったらアポロたちでも教えられるわよ。エラそうにしてるわりには、ずいぶんケチな人なのねぇ」
「魔法ならポップがいるからってさ」
「あの魔法使い君ねぇ…あたしにはそんなに頼りになるようには見えないけどなぁ」
「ど、どうして?レオナ、さっきもいろいろ言ってたけど…ひょっとしてポップのこと嫌いなの?」
「嫌いじゃないわよ、別に」
 さらりと言って、レオナは籠にもたれかかった。
「でもあの魔法使い君、どう見てもおチョーシ者って感じじゃない?バルジ塔の時だってダイ君の後ろでちょろちょろしてただけだし、ああいう人の普段の姿なんて、だいたい想像つくわよ」
 バルジ塔でフレイザードと対峙したとき、ダイの後ろに隠れていたポップの姿をレオナは見ていたようである。
 さすがレオナ、細かいところまでよく見てるなぁ。
 親友の普段が普段なだけに、ダイはちょっと言葉に困ってしまった。
 そのとき。
 ぐらんと、気球の籠が大きく傾いた。
「なっ、なんだ?!魔王軍か?」
 ダイはすぐに籠のへりに駆けつける。
 眼下には変わらぬ、青い森林が広がっていた。その中で、ふと濃い紫色の瞳と目が合う。
「あ」
 ダイは声を上げ、後ろに下がった。それを追うように、一人の少年が籠の上に飛び上がってくる。
「悪かったな、おチョーシもんでよぉっ!」
 そう声を高くして叫ぶのは、話題の人のポップだった。
「あら」
「ポッ、ポップ!」
 色めくダイをよそにして、ポップは満面に不快をみなぎらせながら、綱を頼りにしてひらんと籠に降り立った。
 飛翔呪文、トベルーラだ。
 ダイは親友が覚えたばかりの呪文を思い出した。移動呪文ルーラの類の、魔法力を放出させて自分の身体を宙に浮かせる呪文だ。それを使えば、たとえ空飛ぶ気球にでも容易に追いつくことができる。
「でもポップおまえ、一体いつからいたんだよ?」
 パプニカを発ってから大分時も過ぎている。ダイがそれを尋ねると、ポップは憤然としながら手がかりにしてきた綱を外へ放った。
「おまえらがこれで飛び立ったすぐあとだよっ!全く、黙って聞いてりゃ言いたい放題言ってくれやがってよおっ!」
「やだ、盗み聞きしてたってわけ?」
 ぷりぷりするポップに動じず、レオナは平然と言い放った。
「意気地なしねえ、あたしの言葉をずっと聞いてて出てこなかったの?」
「なんだと?!」
「レオナ、レオナおさえておさえて…」
「だーっ!ダイっ!だいたいおまえもおまえだぜ、何でこんな女に言わせたい放題してんだよ?!ちったあフォローしやがれ!」
「そんなこと言われたって」
「言われたって何だよ?!」
 ダイは困ったような顔をした。
「本当のことだもん。おれなんにも言えないよ」
 そう、正直に言う。
「ぐっ…」
 たやすく言葉に詰まるポップを、レオナは横目で見据える。
「ムキになるのは図星を指された証拠なんじゃないの?魔法使い君」
「なんだとぉ?!」
「そんなに怒るなら実戦で証明してみなさいよ。話はそれからじゃない?」
 ポップはうめき声も上げなくなってしまった。凛然として落ち着いたレオナの、ポップから見ればふてぶてしいことこのうえないだろう態度を必死の形相で睨みつけるようにしていたが、
「おいダイ、おまえの言ってた以上だな」
 こそこそと、隣のダイに耳打ちする。
「え?何がだよ?」
 ダイも小声で答えた。
「あのお姫さん、性格がキツいどころか根性の悪さじゃダントツだぜ。あれで本当にお姫さんなのかよ?」
「まぁまぁ…」
「ナイショ話なら風下でしなさいよね」
 ぎくりと二人は凍りつく。
 レオナは腕組みをして、ダイとポップを見ていた。
「あたしは間違ったことは言ってないわ。ダイくんの仲間としてキミを見るなら、その戦力を知りたがるのは当然のことよ。敵前逃亡するようなくだらない人は問題外だってこと。そうでしょ?」
 レオナは悪びれもせず、ずけずけと言う。
「敵前逃亡って…」
 じろっとポップはダイを睨みつけた。ダイはぶんぶんと否定して首を振る。
「ちっ、違うよポップ!おれ何にも言ってないぜ?!」
「ホントかよ?!」
「あら、やっぱりそうだったの?やぁねぇ、ほんとに見た目通りの人なのねえ」
 瞳を燃やしてポップはレオナを振り返った。
「このヤロウ〜」
 我慢は限界のようである。
「そういうクチを聞くのはおれの戦い方を見てからにしやがれってんだ!アバン先生とマトリフ師匠の弟子の魔法、見てから吠え面かくんじゃねえぞ!」
 レオナに直に出会うまでは、もう美しいパプニカ王女に憧れを抱いていたことも、ポップは忘れているに違いない。
 レオナはただ、一言。
「楽しみにさせてもらうわよ」
 ポップは歯軋りをして地団太を踏む。
 烈火の如きポップと、止水のようなレオナ。
 火花が散るようなその様子に、ダイはまたかというように、自分の頭へ手をやった。ポップおまえ、マァムのときといいレオナといい、女の子好きのくせにどうしてすぐにケンカになるんだよ?
「はぁ〜こんなのじゃ先が思いやられるなぁ…」
 悩める黒髪に、ゴメがちょこんと、人の手が伸びたように割って座った。
 ダイは笑って、いつも一緒のその友達に手をやった。
 やがてベンガーナの遠景が、その漆黒の瞳に映ろうとしていた。