遠い潮騒が響いてくる。
パプニカの城は、海を見下ろす高台にある。執務室のバルコニーに立ち、王女レオナは己が治める国の様子を眺めていた。
今日もまた、新しい船が港に入ってくる。上げ下ろしされる多くの積荷、それらを巡って行き交う人々。遠くから眺めているだけでも、人々の活気と賑わいが手に取るように伝わってくる。
大魔王バーンの脅威が去り、真の平和が訪れてから、この国の人々は何にも憚ることなく復興の道を歩んでいく。魔王軍に蹂躙され、一時は見る影も無かったかつての光景が、今はそれこそが夢のようだ。全てはこの国に戻ってきてくれた国民たちのおかげだった。皆がそれぞれ、この国を立て直そうと、懸命に働いている。
誇り高い国民たち。レオナは背すじが伸びる思いだった。自分にできることは、正しい政治を行うこと。それが、この荒れ果てた国土に戻ってきてくれた国民たちにできる、最大のことだった。
様々な思いを風景の中へ投げかけつつ、レオナはバルコニーから離れた。
「姫様」
召使の声に、レオナは足を止める。
「お客様がいらっしゃっています。メルル様がおいでです」
「メルル?メルルですって?わぁ!すぐにここに通して!」
懐かしい名を聞き、レオナは破顔した。
召使が消えてすぐ、神秘的なローブを纏った少女が姿を見せる。
「メルル!」
若き占い師の顔を見るなり、レオナは抱きつかんばかりの勢いで、彼女の元に駆け寄った。その繊細な手を、喜びを込めて強く握る。
「よく来てくれたわ!」
弾けるような笑顔を零す。レオナの変わらぬ明るさに、メルルはその黒目がちの瞳を細めた。
「はい、姫こそご健勝に…」
「いやね、堅苦しい挨拶はやめにしましょうよ。メルル、元気だった?ナバラさんはお元気?毎日忙しいんじゃないの?ああ、それよりもそうだわ、お茶にしましょうよ!ね!良かったらゆっくりしていって!」
レオナは畳み掛けるように言葉を発し、すぐに人を呼びつけ、茶や菓子を用意させる。相変わらず少年のように闊達な姫の姿に、メルルは柔らかく微笑した。
芳しい茶に、甘い焼き菓子。
茶の香気を存分に胸に吸い込みながら、レオナは笑う。
「でも嬉しいわ、会いに来てくれて。しばらくぶりだものね」
「はい、姫。それにしても、パプニカも活気の溢れた街になってきましたね…街にいるだけで元気を分けてもらえるような…。さすが姫の治める国です」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。でもそれってあたしの力じゃなくって、国民の力よ、みんな」
レオナは悪戯っぽく笑う。メルルは微笑み、ふと、言った。
「姫…ダイさんのことなんですが」
レオナは笑顔を消した。静かにカップを置く。
行方を捜している少年。
大魔王との戦いの後、姿を消した勇者の少年。
「ダイ君の行方は…何か分かった?」
メルルは悲しげに首を横に振った。
「いいえ…。どんな占いを試しても何も見えなくて…こんなことは初めてです」
「そ…う」
「あれから…暫くになりますね」
メルルは呟く。
大魔王を打ち果たし、世界を救った勇者は。
仲間のところへ帰ってはこなかった。
「姫…ダイさんは…」
「あたし…今でもはっきり思い出せるわ」
メルルは目を伏せる。
レオナも、メルルも、まざまざとその眼に灼き付けた。
あの閃光。あの爆発。
深淵の魔に棲むものすら恐れるという、呪わしき黒の核晶。一度火が点き爆発すれば地上はあとかたもない。魔界の冥竜王、その下僕の置き土産。
その忌まわしい破滅の結晶を、ダイと、彼の親友であるポップはその身もろとも空高く抱え…閃光が、走った。
ポップだけが帰ってきた。核晶の爆発寸前にダイに突き飛ばされ、なすすべもなかったという。
「ごめん」
ポップが最後に聞いた、それがダイの言葉だったという。ダイは全てをその身にかぶって、この地上を護ったのだ。
「でもあたし、ダイ君が死んだだなんて思えないのよ」
レオナは言った。目を灼くような光の束を目にしてなお、信じられない。
あの少年。勇者。竜の子。きっと生きている。死んでなんかいない。
メルルは頷く。
「私も…私も、そう思います。きっと、ダイさんはどこかで生きています。…おばあさまの水晶玉でもダイさんの姿を映し出すことができないのも、きっと…何か、私たちの計り知れないところにダイさんはいるからなのではないかと」
「計り知れない…?それは一体…」
「あ…す、すみません。いい加減なことを言ってしまって。私たちの力が及ばないだけですのに」
「何言ってるのよ、メルル。私たち、あなたたちの力にどれだけ助けられたか分からないじゃない」
そう言い、力づけるようにレオナは微笑んでみせた。接した者に力を与える、王者の微笑みだった。気高い王女に、救われるようにメルルはゆっくりと頷いた。
「…姫…ああ、そうだ」
メルルは腰のポーチを探った。
「今日はこれをお渡ししたくて…お忙しいとは知りながら、お邪魔をしたんです」
言いながら、取り出した絹の包みを開いてみせる。
姿を現したものは、変わった形をした小さな木の実。
レオナは直感する。魔法力を秘めたもの。
「これは夢教えの実…これを口にした日の夜、心からの望みを願いながら眠りにつけば、限りなく真実に近い夢を見ることが出来るといわれています」
レオナは顔を上げた。
「心の強い人でなければ叶わないらしいのですが…姫ならばきっと見ることができるはずです。きっと…」
メルルの言葉に、レオナは頷いた。
「ありがとう…メルル」
そっと、手に取った。両手で包み込む。メルルは、すまなさそうにそっと頷いた。占い師でありながら己の力が届かない無力さを、申し訳なく思っているようだった。レオナは伏せられたままのメルルの目を見、それを悟った。
暖かな茶を喉へと滑り込ませる。息を、吸った。
「それで?メルル。話は変わっちゃうけど…」
唐突にレオナは、メルルに向かって好奇心をあらわにした目で笑ってみせた。
「あなたポップとはどうなったのぉ〜?あれからなんにもないワケ〜?」
「えっ、えええっ…」
遠慮の無い姫のまなざしに、神秘の占い師は耳まで真っ赤になって狼狽した。
灯火は人が消していった。
月だけが部屋を照らしている。
青白く染まったベッドの上で、レオナは半身を起こしていた。
掌の中に、メルルがくれた木の実がある。
この実を食べた夜には限りなく真実に近い夢が見られる。メルルはそう言った。
それが本当であるのなら、自分が願っていること、見たいと思う夢はただ一つだった。
ダイの行方を知りたい。出来ることなら、その居場所を教えてほしい。
もしもダイが本当に生きているのなら、今日見る夢にきっと出てきてくれるはずだ。自分はダイに会いたいと、こんなにも強く願っているのだから。
メルルが言うことをレオナは微塵も疑ってはいない。彼女が言葉にしたことならば、それは紛れも無い真実なのだ。
今日見る夢は徒夢ではない。真実を知らせる尊い夢。
けれどもしも、とレオナは思った。
もしも、ダイが夢に出てこなかったら。
その死の様をありありと目にしてしまったら。
「…」
湧き上がる不安にレオナはシーツを握り締める。
が、それは一瞬のことで、すぐ強い調子で顔を上げた。
「ま、考えてもしょうがないわ!そのときはそのときよ!」
木の実を口にした。一息に呑み込む。
「さあ、とっとと寝ましょうっ」
頭から倒れこむようにして、勢いよく枕に頭を埋めた。
波の音が聞こえてくる。
近く、耳のすぐそばで。
はじめはパプニカの港の波の音だと、レオナは思った。
しかし違う。それはパプニカ城に届いてくる、遠い白波の響きではない。
白砂や貝が波に呑まれて、水中でかすかに擦れ合う音まで間近だった。
砂浜に打ち寄せる波の音は、四方からのもののように聞こえる。
さながら潮の中心にいるかのような、そんな錯覚が起こる。
そんなふうに海に囲まれた小さな孤島…。
…デルムリン島!
レオナは跳ね起きた。肘から白砂が零れ落ちる。
「あ…」
声を上げる。砂浜にうつ伏せになっていたのだった。
眼前の光景をレオナは見つめた。青く淡い水平線、打ち寄せる波。潮風が頬を撫でていく。空は抜けるように青く、雲は、どこまでも白い。
知っている、この光景。
立ち上がろうとした。
「なにしてんのレオナ?」
あどけない声が背中からかかった。レオナは息を止めた。
ゆっくりと、振り返る。
白浜に小さな少年が立っている。少年というよりはまだ子どもと言ってもいいような頼りない背丈だった。釣竿を持ち、魚篭を腰に下げている。
レオナは瞬きを繰り返した。
ぼさぼさに切った短い黒髪、健康的な小麦色の肌、頬に浮かぶ、十文字の薄い傷跡。レオナのよく知るその姿。そして何よりも彼という存在を印象づける…汚れを知らない、純粋な瞳。
「ダイ君」
レオナは言った。
立ち上がり、駆け寄ろうとして動きを止める。
どうして、駆け寄ろうと思うの?
そんな思いが胸をよぎった。
ダイはここにいるのに。
ここにいるのが当たり前なのに。
嬉しいと思うことなんてない。このデルムリン島に彼は住んでいる。ダイとは会えて当たり前、わざわざ嬉しがることなんかない…。
レオナの胸中を知らず、ダイはとことこと近づいてくる。魚篭の中で魚が跳ねた水音が聞こえた。
「あ……ダイ君。釣り、してたの?」
尋ねるとダイはにっこり笑ってしゃがみこみ、レオナに魚篭の口を向けた。銀色の魚がぴちぴちしている。
「今日の晩飯!じいちゃんに料理してもらうんだ。じいちゃんの料理、すっげえうまいんだぜ。レオナも食べるだろ?まだパプニカには帰らないんだろ?」
嬉しそうにダイは尋ねてくる。レオナは半身を起こし、ダイを見た。
ダイは相変わらずきらきらした瞳で、無心にレオナを見つめてくる。
…そうだった。
レオナは思い出す。
自分は、デルムリン島に遊びに来たのだ。王家の儀式の時に出会った、この小さな勇者ともう一度思い切り遊ぶために。
でも、どうやって来たのだっけ?
デルムリン島は絶海の孤島。パプニカと遥か離れているというのに。船?気球?それとも他の…?
頭の奥が痺れている。うまくものを考えることができない。
ずきずきと痛むこめかみに指を置く。ふと、そこにサークレットがはまっていることに気がついた。思わず手で確かめる。貴石を嵌め込み、簡素だが品位ある彫刻で飾ったお気に入りの品だ。ダイと初めて出会ったときにも着けていた。
髪も後ろで結んでいた。礼装のため髪は常に伸ばしてはいても、走り回るのには邪魔だからだ。衣服の丈も動きやすさを重視してとても短い。
不思議だった。この格好。とても、懐かしい気がする。
…どうして?
レオナは首を振る。
何を言うの。いつものものじゃないの。王家の儀式の時だって、お父様に見送られてこの格好でパプニカを出ていったじゃないの…。
思案に暮れるレオナの腕を、ダイはぐいと引っ張った。
「おいでよ、レオナ!海に行こう、マーマンに沖まで連れてってもらってさ、泳ぎっこしようぜ!」
そのままダイは走ろうとした。その背を、どこからか飛んできた金色の光の塊が追っていく。
「ゴメちゃん!」
思わずレオナは声を上げた。ゴメと呼ばれた光の塊…黄金のメタルスライムに翼が生えた生き物…は、体ごと振り返ってレオナに親しげな鳴き声を発してみせた。
ダイの大事な友達、ゴールデンメタルスライムのゴメだ。世界に一匹の珍獣なのだと、ダイから聞いたことがあった。…ような気がする。
ゴメと呼ばれた翼あるスライムは、レオナのもとにも飛んできてよく馴れた小鳥のように肩に乗った。人なつっこく、頬をすりつけてくる。すでにレオナとも友達なのだ。
「へへっ」
嬉しそうにダイは笑い、レオナを振り返って小さな手を伸ばした。その純真な笑顔につられ、レオナも笑う。
そうだ、今は何も考えないで。
レオナはダイの手を取った。
遊ぼう!この勇者と。思い切り、太陽のもとで…!
子犬のように、駆け出した。
海で泳ぎ浜を駆け、島中に笑い声を響かせながら、ダイとレオナはどこまでも走った。どこまでもついてくるゴメと三人、光の粒のようになって駆け廻った。
やがて、やっと走り疲れ、ダイとレオナはもとの砂浜に腰掛けた。
波が寄せる。ダイは流れ着いた小枝を見つけ、浜辺に自由に絵を描き始めた。レオナは貝殻を拾ってリボンでつなげ、ゴメの翼を飾ってやった。ゴメは嬉しそうにレオナの周りを馳せ巡る。
幸せだ、とレオナは思った。
いつまでもこうしていたかった。いつまでもこうして、友達と遊んでいられたら。
レオナの横で夢中になって伝説の勇者の想像上の似姿を描いていたダイは、ふと、思い出したようにレオナを振り返った。
「そうだレオナ、おれ地図が書けるんだぜ!」
そう言いながら、ダイは得意げに砂に線を走らせる。
「これがデルムリン島だろ」
「ええ」
レオナは頷いた。大ざっぱな曲線で描かれる、世界の隅の小さな島。彼の大地。
「それでこっちがロモスの城さ」
ぐるりと小枝を巡らせる。
「そうね」
とても地図とは呼べないぐにぐにした線の連続を、レオナは笑って見守った。
夢だ。
レオナは思っている。
これは、夢。とても、とても幸せな。
でも、どうか醒めないで…。もう少しだけ、もう少しだけでも…。
静かな笑顔を崩さないレオナの隣で、ダイは棒を持った手で頭を掻いた。
「この島を出るときにはこういう地図でロモスへ向かったんだ。ポップ、かんかんになって怒ってたなぁ」
「ポップ?」
レオナは聞き返す。その名前を知っている。いいや、やっぱり知らない。
世界のことはまだよく知らない。ダイもまだ、生まれ育ったこの島と、ロモスのことしか知らない。
パプニカ国のあるホルキア大陸も、バルジの大渦も、騎士国カールも、城塞都市リンガイアも、商業国ベンガーナも、神秘の国テラン、竜の泉、彼の父母…その使命。
知らない。私たちは何も知らないはず。
ダイ君。
顔では微笑しながら、心では叫び出したいようにレオナは願った。
言わないで。お願い。
しかし、ダイは言った。
「ああ、おれの友達さ。おんなじアバン先生の弟子で、ランカークスの…」
ざざん。
波が鳴った。
それは、夢を砕く音。真実を知らしめる海の声。
アバン。かつて世界を救った勇者。その教えを受けた自分たち。
師と同じ道を択り、師を越えるまでに至った。
「世界は、広いね」
レオナは言った。額のサークレットは消え、垂らした髪が風に泳ぐ。
「うん」
ダイは頷く。青い衣をまとい、背中には優美な剣を負っている。
「ダイ君が守った世界だわ」
ダイは、ちょっと笑った。
「おれだけじゃないよ。みんなでさ」
「どうして帰ってこないの?」
言葉が口を突いて出た。
「ねえっ、ダイ君、キミは今どこにいるの?」
静かな瞳でダイは地図を見つめている。精緻な線。完璧な世界地図。レオナは不安に襲われる。
「もしかしてもう、帰ってこないの…?」
「そんなことないよ」
ダイはレオナに向き直った。
「だっておれ、大好きだもん。レオナにポップ、マァム、ヒュンケル、クロコダインにじいちゃんに…」
ひゅうんと、ゴメが飛んできた。レオナは胸を締め付けられる。貝飾りもどこかへ消えてしまって、ゴメはまるで金貨ぐらいの大きさにまで縮んでいる。
「あははっ、もちろんゴメちゃんもだよ」
小さくなったゴメをダイは両の手の平で受けた。
「おれは必ずみんなのところに帰る。だからさレオナ、そんなに心配しなくてもいいよ。ただ…今はどうしてもダメなだけなんだ」
穏やかなダイの瞳と、無心なゴメの瞳。レオナの大好きな二人の目。
レオナは、こくんと頷いた。
「…分かったわ。ダイ君」
頷いて、ダイは笑った。背中の剣を外して砂浜に置く。
立ち上がったダイの身体から光が溢れ出す。ゴメも一緒に輝きだした。
「ダイ君、あたしたち頑張る…頑張るわ」
レオナはダイに手を伸ばした。ダイはその手を握った。
「ダイ君が帰ってくるのをずっと待ってる。あの世界で…」
光の中から、ダイはレオナを見つめてくる。柔らかい笑顔。全てを許し、包み込むような優しい瞳。父親よりも、きっと母親に似ている。
「ダイ君」
レオナは呼びかける。ダイの手はとても暖かい。強く握り返した。
「ダイ君の守ったあの世界を、あたしたちも守り続けていくから!」
ダイは頷く。そして、笑った。
輝く日のような眩さに包まれ、その純真な笑顔が見えなくなっていくのを、レオナは最後まで見守っていた。
太陽の輝きが瞼に射し込む。
レオナは薄く目を開き、そして飛び起きた。
朝。
空はよく晴れていた。小鳥たちが窓の外で目覚めの歌を鳴き交わしている。
レオナは周りを見渡す。見慣れた調度。いつもの、寝室。
…夢。だったのだ。やっぱり。
耳に残る波の音も、瞳に映った陽の光も、手を握り合った少年の温もりも、あっという間にレオナの内から消えていく。
「…」
俯いていたレオナは、やがて強く顔を上げた。
寝具の仕舞いもそこそこに、部屋を飛び出していく。
パプニカ城内、再設された王家の書架で貴重な蔵書を点検していた三賢者の一人マリンは、矢のように飛び込んできたレオナとまともに衝突しそうになった。
「ひっ…姫っ…!?」
驚いて声を上げた。姫が時を選ばず活発であるのは常のことだが、それでも国政に尽力するようになった最近は見られなくなっていたのに。
「マリン、キメラの翼よ、キメラの翼をちょうだい!」
出会い頭にレオナは喚いた。
「はぁ?」
「急いでるの、持ってない?」
「い、いいえ……でも、バダックさんならお持ちだと思いますよ」
「ありがとうっ!」
言うが早いか、レオナは身を翻した。慌ててマリンは声をかける。
「でも姫、一体どちらへ?」
「デルムリン島よ!マリン、あたしちょっと出かけるわ!みんなで留守をお願いね!」
疾風のようにレオナは去った。残されたマリンは訳が分からず、書物を抱き持ったまま首を深く傾けた。
デルムリン島に暮らす鬼面道士ブラスは自宅の窓辺で、ふと空の一点が光ったのを見た。
瞬間移動呪文のものとすぐに分かる魔法力の塊が、砂浜の方角へ落ちていく。
何者が来たかとブラスは急いだ。大魔王が去って以来、護衛のためのロモスの兵士も母国に帰り、それからはかつてと同じように、静かな暮らしを送っていた。
まさか島の平和を乱すものでは…。
争乱の記憶はまだ新しい。不安を抱きつつ浜に着いた。
だが、そこには彼が想像していたような闖入者はおらず、代わりに、見覚えのある愛らしい姫が砂浜に両手両膝をついていただけだった。
「おお…これは、レオナ姫」
意外な来訪者にブラスは驚き駆け寄った。大魔王との戦いが終わったこと、そしてダイの行方が分からなくなったことを、仲間のポップたちと共に告げに来て以来の再会だった。
しかしレオナはというとブラスの姿も目に入らないように、何かを探しているような必死な瞳を浜全体に巡らせている。
「姫、一体…」
レオナの胸中が分からないブラスは戸惑うばかりだった。
「ブラス老、島の平穏を乱す突然の無礼をお許しください。でも、でもあたし…」
早口に言いながら、激しく首を振ってあちらこちらを見渡している。何かを探しているようなのはブラスにも分かったが、どうすることもできない。
雲間から太陽が顔を出す。ちかっと、何かが光った。
「あっ!」
レオナは声を上げた。すぐ駆け寄って、手が汚れるのも構わず砂を掻く。
やっぱり!
砂の間から現れたものを見て、レオナは笑顔を溢れさせた。
ダイの剣。波に洗われ砂浜に埋もれていたはずのものでも、その美しさは少しも損なわれていない。刀身に填め込まれた美しい宝玉は燦然と輝いている。
「ダイ君…!」
絶え入るように愛しげに呟き、レオナは丁重に剣を引き出しにかかった。
「それは…」
歩み寄ってきたブラスは呟く。ブラスはダイの剣を目にしたことはなかったが、それがダイのものであることは直感的に見抜いた。ただことではないレオナの様子もあるし、剣にしては、姿が優しすぎる。
「ブラス老」
レオナは振り返る。
「ダイ君は…必ず帰ってきます」
「えっ」
「あたしは…ううん、あたしたちはこの世界を平和なものにします。してみせます」
剣に輝く、命そのもののように暖かな宝玉の光。喜びで胸が裂けそうだった。確信できる。ダイは、ダイは生きている!
「いつかダイ君が帰ってきたとき…彼が、彼が守ったこの美しい世界に…きっと誇りを持てるように!」
宝玉は輝く。
太陽の光をいっぱいに受けてどこまでも明るく、強く。
それはまるで、一人の少年の無垢なる笑顔のように。
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