〜 雨 〜







 雨の音で意識が醒めた。
 激しい雨。
 閉じた瞼に、血を流す頬に、傷ついた唇に、容赦なく雨は降ってくる。
 病葉出門は目を開いた。曇天の雲が視界に映る。起き上がろうとして、激痛に呻いた。満身、創痍だった。
 やっとのことで利き腕を上げ、眼前にかざす。
 生きていた。
 雨粒の向こう、天を睨んだ。
 彼方の浮き城は、もう雲の塊でしか無かった。
 つい昨夜には牙のような姿で生まれてきたものが、夢のように霞んでいる。
 雨は止まない。とめどなしに打ち据えてくる。
 お前の涙か?
 出門は、手を開いた。
 痣が掌を埋めている。火で捺されたようなむごい紋。
 椿の花が咲き誇っているようにも、見えた。
「…よっ…と」
 思うように動かぬ身体を持ち上げて、出門は起き上がる。
「永劫の孤独…ってか」
 誰にでもなく、出門は呟いた。
 俯いていた出門は暫く雨に打たれていたが、やがて轟然と頭を上げた。
 大気が震えた。
 そこに息づく耳ある者は、一人の男の叫びを聞いた。
 雨に負けじと声を張り上げ、喉も裂けよといわんばかりの。
 天を落とし地を焼いた、至上の恋を失った痛み。
 やがてこの雨も止むだろう。血を押し流し、痛みを消し去り。
 その後に訪れる晴れた空。浮かぶ虹。
 それを自分は見なければならないのだろうか?
 声も嗄れ果て、よろよろと出門は身を起こした。
 どこにも行くあてはない。帰る場所も、同じく。
 だがこの痣は終生消えぬ。生ある限り傍らにある。
 かの人の遺したただ一つのもの。
 炎のように紅い痣。面影はこの内に生きている。
 まるで、鏡を見るように…。
「…行くか」
 出門は立ち上がる。傷ついた身体を支える、よすがの一つもなしに。
 白壁のような雨煙の内に、消えていった。