〜 長干行 〜







 屍山血河の黒だかり…。


 そこは、殺戮の行われた村だった。
 深山の奥の、鳥の巣ほどな小さな集落。
 息ある者は誰もいない。
 男も女も、老人も赤子さえ。障子、柱、或いは梁、天井までもが。全てが血潮に濡れていた。
 この夜に祝言を挙げたばかりの、昨日までは花の蕾のように初々しい恋人同士であった、年若い夫婦の新床も。


 黒血は畳を染み通り、床板にまで及んでいる。
 一撃だった。
 たった一振りの凶刃で、彼は妻もろとも絶命させられた。
 深い眠りにあった彼は、障子を激しく蹴破る音で目を覚ました。
 その後、一瞬。
 闇の中へと突き落とされた。
 彼はなぜ、己が死ぬことになったのかも理解していない。
 なぜ?
 誰が。
 誰が、こんなことをしたのだ…。
 未来を断たれた遺骸から、流れるはずのない涙が流れた。
 涙。血であった。
 全ての望みから引き離された彼の、憎悪の血涙であった。
 やや、あって。
 それは救いか、それとも呪いか。
 闇の虚空に粟粒ほどの光が生じ、彼の骸にぽうと宿った。
 動くはずのない指がぴくりと動いた。
 開くはずのない目がかっと開いた。
 死の世界から、彼は黄泉返った。
 彼の心、魂が一番に探したのは、愛しい妻。
 何も見えない。手探りで探した。
 指先が、彼女の肩に触れた。
 ああ!篝火!
 狂喜するように妻の身体を抱きしめて、その顔に触れようとした。が、彼女の顔は、少しも彼の指に触れなかった。
 髪にも、額にも、瞳にも、鼻にも唇にも。
 彼女の顔に触れられない。すうと空を薙ぐだけ。
 なぜ?
 床に手をつく。彼女の髪はとても長い。比の夜、彼がその下に敷いた彼女の麗しい黒髪は、まるで彼女の分身のように、長々と豊かに横たわっていた。
 どこ。どこ?
 手を動かして必死に探す。ついと、湿った糸束のようなものに指が触れた。
 彼女だ!
 愛する妻の黒髪だ。間違えるはずはない。すぐに源流を探り寄せ、胸の中へと抱き上げた。
 とても、軽かった。
「あ…」
 嗚咽が漏れる。
 輝く艶持つ、彼女の髪。小作りで華奢な、彼女の顔。彼は幾度も確かめた。
 どうして。どうしてなんだ。
 どうして篝火は、首だけになっているんだ?
「ああああ、ああああああああ!」
 彼は、声の限りに叫び続けた。




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 森深き峠で、覇王丸はまばらな顎髭をさすっていた。
 如何にするか、と、思案している。
 眼前には、森の入口が開いている。草茂り暗い山道だ。
 峠の茶屋で、とある噂を聞いてきた。
 鬼が、いる。
 あの山奥には鬼が棲む。
 毎夜毎夜、人とは思えぬ咆哮が、山の間を木魂する…。
 鬼の話は覇王丸も聞いていた。鬼とはいうが化生ではない、人の姿をしているが、心を持ち合わせてはいない、無慈悲な人斬りの鬼の話は。
 この先にその鬼がいるというのか。
 覇王丸は森を見据えた。昼なお暗い木立の道には、それだけで陰惨な空気が満ちているように思える。
 鬼を捜してくれ、と、頼まれている。
 まだあどけない幼女だった。人々から鬼の娘だと言われていた。どれほどの宿業を背負って生まれてきたのか、母も兄も、鬼に殺されてしまったのだという。娘は、父である鬼を捜して、そして殺してくれと覇王丸に頼んだのだ。
 憎いか、と覇王丸は尋ねた。違う、と娘は答えた。
 弔いだ、と。
 人の心を失った鬼…父を殺すこと。それが母と兄への、そして父自身への回向になるという。
 幼女の言葉だとは思わなかった。悲しみに耐え孤独に育まれる、一人の人間の願いだと感じた。必ず果たしてやると、覇王丸は哀れな娘に約束した。
 覇王丸の捜す鬼と、ここに巣食うという鬼。
 同じ者ではないかもしれない。それでも、それが鬼と呼ばれているなら、避けて通る理由は無い。
 覇王丸は心を決めた。
 もとより武者修行の空に置いている身だ、惜しむ命も持ってはいない。中途で倒れてしまっても、それは己がそこまでの力量だったという話だ。
 覇王丸は、散策でもするような足取りで、森へと足を踏み入れた。




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 歩き、歩き、…覇王丸は、一つの村に辿り着いた。
 人家もまばらな、こじんまりとした里村。
 しかし、無人であるということは一目で分かる。
 死臭がする。風雨に晒され荒れ果てた家壁、朽ち、穴が開いた屋根。村で共用していただろう広場の小さな井戸には恨みがましく蔓草が巻きつき、風になぶられるままになっている。廃墟となって久しいのだろう。
 鬼に滅ぼされたのか。
 幾たびか降っただろう雨に洗われようと、流された血が古くなろうと、決して消えぬそれらの匂いは生きていた者の無念のように、村の中空を漂っている。
 覇王丸の捜す鬼は…あの娘の母を斬ってしまうまで、人間という人間に刃を向けていたという。血を求め、血に明け暮れる…まさに鬼。
 この村はその犠牲の跡なのか。
 ここに鬼がいるというのか?それとも、もしやまだ生き残りがいて…その啼き声が、噂を生んでしまったのか。
 しかし…。
 覇王丸は辺りを見回す。
 いやに静かだ。
 森深いのに、鳥の声が聞こえない。獣の気配も失せている。
 張り詰めた空気だ。首筋に何か、ひりひりするものが触れてくる。誰かが自分を、どこかから見ている。
 こいつぁ、当たりかもしれねぇ…。
 そう思いながら、覇王丸は、そばに見えた小さな屋敷…だったのだろう、かつては…の縁側に手をかけた。一息で、屋敷へ上がり込む。
 瞬間。
 どん。
 重い音がして、覇王丸のすぐ足元に、巨大な牙のような刃が立った。
 威嚇するようにぎらつく鉛色の刃、覇王丸は腰の刀に手をかけた。
 鬼か?
 思うと同時に、
 じゃらん。
 鎖が走る音。びんと、足元の刃が動いた。牙のように見えたのは鎌のような尖りが入った厚い刃であり、それが三枚、風車のように連なっていたものだった。それは鎖と繋がっている。巨大過ぎるが、鎖鎌に似ていた。鎌は鈍い光沢を見せながら鎖に引かれ、闇の中へと消えていった。
 今のが鬼…、なのか?
 覇王丸は愛刀を抜いた。殺気が自分を取り巻いているのを感じる。しかしそれは村に立ち入った瞬間から、覇王丸を捕えていたのかもしれない。それが屋敷に上がった瞬間に、執念深い獣の如くに牙を剥いたのだ。
 じっとりとした嫌な汗が、冷たく背中を駆け下りていった。




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 それは、時にしてみれば一刻も満ちてはいなかった。
 しかし、得体の知れない殺気を全身に受けたままでいるのは堪え難かった。特に覇王丸のような、受け手に回ることを苦手とする人間には。
「何だってんだ、この野郎!」
 痺れを切らして叫んだ。
「誰だか知らねえがこそこそしやがって!俺の相手になりてえのならさっさと出てきたらどうなんだ!」
 里全体に響き渡るような、梁を揺らす大声であったが、返答は無かった。殺気のみは変わらず鋭く、覇王丸の肌を刺している。
 埒が明かぬ、打って出ようと刀を握った時、すうと、視界の隅に何かが浮かんだ。反射的に覇王丸は目を向ける。
 誰かの小屋だっただろうものが辛うじて立っている、そこに思わぬものを見た。
 一人の娘。
 残月のように淡い色合いの振袖を纏った、ほっそりとした娘が立っている。
 もしや、生き残り…?
 鬼の襲撃から助かった人間がいたのかと覇王丸は思ったが、すぐにその考えは打ち消した。
 娘の身体は光を透かし、娘自身も蛍のように、浮かんでは消えを繰り返している。幽鬼。命ある者の姿では、ない。
 もっとよく見ようと顔を向けると、
「うおっ?!」
 再び眼前を刃が掠めた。あとに鎖が尾のように続く。
 鎖はまるで生きているように縦横を圧し、剣呑な風車は、唸りを上げて小屋へ向かった。
 そこには娘が立っている。
「おいっ、あんたっ…!」
 人でないことが明らかとはいえ、人の姿をしたものが目の前で襲われていればとても平静ではいられない。覇王丸は喉から声を絞ったが、娘は一顧だにせず、襲いくる刃を避けようともしなかった。
 刃は、彼女をすり抜けた。
 ぎらぎらとした鉄造りの刃は娘の身体を通り抜け、後ろの、小屋の柱を叩き砕いた。
「なっ…?!」
 食い入るように娘を見つめた。娘も、覇王丸を見た。
 長い黒髪。円らな瞳。秋の花のように慎ましい、清楚な趣きの娘だった。
 娘は、何か言いたいように覇王丸を見つめてくる。
 唇が動く。
(たすけて)
 それは声であったのか。音として聞こえるものではなかったかもしれない。しかし覇王丸には届いた。悲しみに暮れた娘の魂が、何を訴えているのかを。
(たすけて。あの人を…。血の涙でくもってしまったあの人の眼には、私の姿はもう見えない)
「助けるったって…一体……うおっ」
 風が割れる音が聞こえて、反射的に覇王丸は身を沈めた。
 水平に飛ぶ刃が目に入り、一筋、己の髪が散らされていったのが見えた。一瞬でもしゃがむのが遅れていれば、首が飛ばされていたに違いない。
 覇王丸は舌打ちする。物影が多いところは不利だった。相手は姿さえ見せない。鎖は全て覇王丸の死角から襲ってくる。執拗に、まるで出ていけとでも言うように。
 転がるように屋敷から出、板塀に背をつける。
 また、刃が襲ってくる。覇王丸は見切り、避けた。一度や二度でなく。
 何故…。
 常人であれば気を失うような命のやりとりを幾度も行いながら、覇王丸に疑問が浮かぶ。
 牙の切先は、全て覇王丸の頚筋を狙っている。
 明らかな殺意がある。何故、この者はこれほどの憎悪を人に向けられるのだ。
 また牙が飛んでくる。覇王丸は目を据えた。続く鎖の向こう。一人の男が、立っていた。
 覇王丸は目を見開く。凄愴の気を込め、狂奔する鎖を峰で打った。
 鎖は断たれはしなかったが、男の手から得物が飛んだ。すかさず覇王丸は駆け出し、男を地面に突き倒した。全体重を足に込め、男の肺腑を鋭く圧する。
「てめぇっ、どういうつもりだ」
 声を荒げ、覇王丸はその男を睨みつける。
 驚くほどの痩身であるが、その肉体は鋼のように鍛え上げられている。しなやかな獣のような無駄のない体つき。山々を駆ける者の肉体だ。しかし異様なことは、この男がその双つの眦から絶えず赤い涙を流し続けていることだった。
 それに。
 覇王丸は気付いた。
 この男。
 呼吸をしていない。相当に乱暴な力で押さえつけているのに。
 苦しむどころか、胸も動いていないのだ。ほんの僅かも。
 こいつ、一体…。
 男から、つんと漂ってきた匂いに、覇王丸は思わず鼻を覆った。
 この臭いは…!
 まさか、と思ったとき、男が叫び声を上げた。叫び声。雄叫び。人のものとは思えぬ、凄絶な声。同時に、その痩身からは想像もつかぬ馬鹿力で突き飛ばされる。
「わっ…わああああっ!!!」
 咽喉を掻き毟るような声で男は叫んだ。
「こっ…殺してやる!殺してやる!!!あいつを…鬼を!邪魔をする奴は…許さない!」
「鬼?」
 覇王丸は聞き返す。
「お前、鬼にやられたのか?…いや、それよりも、お前の身体…」
 だが男には覇王丸の声は聞こえないようだった。紅い涙を散らしながら、血を吐くように叫び続ける。
「いやだ。いやだいやだいやだいやだ!…許さない…絶対に許さない、俺と篝火を斬った鬼を絶対に許さない!殺してやるよ!」
「篝火?」
 覇王丸は問い返したが、男は依然、口中で繰言のように繰り返す。
「篝火…お前を殺したあいつを、鬼を…殺してやるよ。お前のために、お前が受けた痛みを、何倍にも返して思い知らせてやる!」
 飛ばされた武器の鎖を拾い上る。ぐんと引くと、鎌も男の手に戻った。風車の芯に持ち手があるのだ。長い間、あの武器は男と共にあったのだろう。
 覇王丸は、理解した。
 鬼に男は殺されたのだ。そしてやはりこの村も、鬼の襲来に全滅した。
 篝火というのはおそらく娘の名であろう。この男の恋人か、妻か、はっきりとしたことは分からないが、心に懸ける人間の名であることには違いない。
 ひょっとするとあの娘が…?
(たすけて)
 あの娘の、声なき声がよみがえる。
 この男はすでに死んでいる。死んでいるのに、生きている。
 何故かは分からない。覇王丸には何もかもが分からないが、男がひどく苦しんでいるのは分かった。
 どうすれば救ってやれるのか。
 恨みに迷う亡者。黄泉の垣根を越えてしまった者。
 覇王丸は、一つの手段しか知らない。
 刃を、構えた。
「南無阿弥陀仏」
 そう呟く。剣気を放つ。駆け出した。
 その気に反応するように、男は覇王丸に向き直った。見えないはずの瞳を開き、ひょうと、鎌を投げつける。
 覇王丸は避けた。避けながらぐんと足を踏み込み、渾身の力で斬り込んだ。
 男は体勢を整えられず、覇王丸をぎらと睨む。
「ああ……素晴らしい悪夢だ!」
 歓喜のような悲鳴だった。大上段で振り下ろした覇王丸と、その刃を嬉々として受け入れるように腕を広げる男との間に、胡蝶のように一人の娘が割り込んだ。
 覇王丸ははっきりと見た。さきほども見た幻影の娘。
 男の体に天女のようにふわりとかぶさり、切なげに、愛しげに抱きしめる。
 刃はもう、止められない。
「ばかっ…」
 なすすべもなく、覇王丸は、娘もろとも男の身体を両断した。




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 血の涙。
 仰向けに倒れた男から、なお流れ続けている。
「…俺たちは…ただ、ここで暮らしていただけだったんだ」
 正気に返ったのか、痩せ細ったおとがいを逸らし、細い声で言葉を紡ぐ。傍らに立つ覇王丸の姿も見えているのか、どうか。
「俺たちはとても幸せで…何もいらないぐらいに幸せで…。今も、昔も、そして、これからも……ずっと変わらぬ暮らしをここで続けていくのだと思っていた…。それだけ…それだけだったのに…」
 手をさし伸べる。何かを掴むように。
「許さない…あいつを…。俺の篝火を殺したあいつを…。そのためには俺の身など、どうなっても…」
 その手に、そっと触れたものがある。白絹の如くに清らかな手。
 月の光が凝ったような、あの娘の姿が現れる。澄み切った双眸からぽろぽろと、光る涙を零しながら。
 娘は珊瑚の唇を開いた。
「破沙羅…」
 転がる鈴のような声で、そう、呼びかける。
「破沙羅…見える?私が…」
 それが男の名だったのか。男は、娘を見上げた。
 血涙を流す男の瞳が、娘の流す真珠の涙をその瞳で受け止めた時。
「かが…」
 赤い涙の、色が変わった。瞳が白い光を映す。
 男…破沙羅は、娘の姿をその目に捉えた。
「篝火……ああ……」
 破沙羅の瞳が和らぐ。おそらくはそのまなざしが、人としての破沙羅の本来のものだったのだろう。破沙羅は傍らにひざまずく娘に手を伸ばし、微笑み、それきり…動かなくなった。男の額を労わるように撫でてやっていた娘の姿も、やがて霧のようにかき消えた。
(ありがとう)
 覇王丸の耳に、その声を残して。
「…成仏しなよ」
 合掌し、覇王丸は瞑目する。
 この者たちは何者だったのか。生前、どのようにその生を営み、また、どのような仔細で命尽きてもなお此の世に執着したのか。
 それを知る者も、語る者も、誰もいない。死者が語らぬのは尚更のこと。
 ただ覇王丸は、静かに、二人に祈りを捧げた。
 背後の草むらが、鳴った。
 覇王丸は振り返る。そこには、ばかでかい数珠を首から提げた、袈裟姿の大男が立っていた。
 その姿に覇王丸は覚えがあった。
「お前…骸羅か」
 意外なように言う。覇王丸が寓居していた枯華院という山寺の、老いた住職の孫だった。
 首を鳴らして、骸羅は言った。
「鬼の噂を聞いてきたんじゃ。この山に出ると…。鬼に会えるのかと思うたんじゃが」
 覇王丸は首を振った。
「だったら遅かったな。こいつがそれさ。もう動かなく、なっちまったが」
 骸羅は男を覗き込んだ。
「こいつが…鬼?」
 意外に若い、とでも言おうとしたのか、しかし骸羅はすぐ覇王丸がしたように鼻を袖で覆った。
「ひでえ匂いだ。動かなくなっちまったって、こいつは…?」
 今斃れたもののようには思えない。そう言いたげな骸羅に、覇王丸は首を横に振った。
「仔細は俺にも分からねえ。ただ、そうならなきゃいけねえような理由が、あったんだろうさ」
「鬼だったのか?こいつが…人ちゅう人を斬って回ったという」
「いや…あの噂の鬼とは違った。しかし、鬼の犠牲者…鬼が生んだ、鬼さ」
 覇王丸の言葉を聞きながら、骸羅は男の死骸を見つめていた。生命の抜け落ちた姿に哀れみを感じているのかもしれなかった。覇王丸は顔を上げる。
「おい骸羅、おめぇも一応坊主だったよな?こいつを弔ってやってくれねえか。それにこの村の全員の供養も…」
「全員…?」
「ここは、鬼に滅ぼされた村なんだよ」
「ああ…」
 それで全てを察したように、骸羅は首の数珠を取り外した。いつでも持ち歩いているらしい、経文の帳を胸から取り出す。
 あの男女が何者であったのか。覇王丸には知るよしもない。
 しかし、せめて浄土に生まれ変われと、覇王丸は願った。




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 朽葉を集め火口となして、積み上げた枯れ木に燃え移らせた。一つ、また一つと、火を移していく。
 遅すぎる弔い。せめてもの慰めになれと思いながら。
 最後に、廃屋の中で最も造作の新しい家屋に火を就ける。覇王丸がはじめに乗り込んだ屋敷だった。あの男の…破沙羅の居であったのだろう。それで破沙羅は怒りを爆発させたのだ。
 この屋敷の一番奥に、朽ちた女性の亡骸があった。それが篝火だったのだろう。それも今は、破沙羅と共に、何もかもが燃えていく。
 骸羅が経を唱えている。火を持ったまま、覇王丸も口真似で経を口ずさんだ。
 風が吹いた。木の爆ぜる音。火が一層に激しく燃える。
 紅く渦巻く火炎の中から、一振りの振袖が舞い上がった。
 猛火の中で燦然と輝き渡る、純白の打掛。花嫁衣装。天空のそれにも火が回り、あっという間に燃えていく。
 その火影に、男女の幻が浮かび上がる。
 男は女を愛しげに抱き、女は男の腕に寄りかかりながら、地上の覇王丸を見つめている。
 二人の唇が動いている。声は聞こえないが、覇王丸は、その言葉を受け取った。
(ありがとう…どうか)
(どうか…もう…我らのようなものが出ぬように……)
 覇王丸は、頷いた。二人は微笑む。この上なく、幸福そうに。
 あかあかと輝く炎の中、明るい光に溶け込むように…消えていった。
「おい覇王丸、今のは…?」
 事情を知らない骸羅が問うた。
「ん?ああ…待ってた奴が居たんだよ。彼岸と此岸に分かれちまっても、あいつを…」
 篝火の魂の在り処を求めて破沙羅はこの村を離れられず、一人甦った破沙羅を篝火は置いて逝くこともできず、二人は、苦しみ続けていたのだろう。限りなき想いの深さ。夫婦は七生を誓うものだから。
「願ワクバ、塵ト灰トヲ共ニセン…ってか」
 覇王丸はそっと呟く。経を読み終え、懐に仕舞おうとしていた骸羅は振り向いた。
「なんだそりゃあ?」
「漢詩だよ。おめぇも坊主なら漢詩の一つもよくしなよ」
「フン、そんなもん分からずとも坊主稼業は出来るわい。それにそれ、『願ワクバ比翼ノ鳥ト』…ってやつじゃろ?」
「ああ、そういうのだよ。何でえ、分かってんじゃねえか」
「馬鹿にしくさるわい」
 骸羅が鼻を鳴らし、覇王丸が笑った時、か、と、強い閃光が二人の瞳を貫いた。
 眼を向ける。振袖が燃え、恋人たちが消えた虚空に、白く輝く陣が描かれた。
 方術師や陰陽師がすなるものとも違う。異様で、奇怪な、呪法の印。
「なんじゃあ、ありゃあ」
「あれは…」
 覇王丸は唸る。見たことがあった。
 数年前、天の子が狂って蘇った。世に災厄を撒き散らし、破壊と滅亡を希った…。
「まだまだ…終わりはしないみたいだな」
 緋色に横顔を染め上げながら、覇王丸はひとりごちた。
「行かなきゃあな…鬼の、ところへ…」
 刀の柄を握り直す。この先にある、戦いへの予感に。
 炎は鎮魂を謳い上げ、赤く長く、燃え続ける。





















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