33 「運命が引き寄せる」



 少年は小鹿のように駆けていた。
 心は何に弾んでいるのかそのバスケット・シューズはぴょんぴょんと跳ね、地上に僅かも落ち着かない。
 真っ白な頬を桃のように色づかせた少年は、やがて彼が見慣れた二人の背を人ごみの中に見止めた。
「社、シェルミー」
 慕わしげな声を上げ、豊かな栗色の髪をした女と、短い髪を白髪に染めた男を、一直線にめがけていく。
「あらっ。やだわクリス、どこ行ってたの?」
 軽い抗議を表に出して、シェルミーと呼ばれた、長い前髪ですっぽりと両目を隠した女は言った。
「うん、ちょっとね」
 ニコとクリスは微笑んだ。翼の生えた天使のように、その笑顔は清らかだった。
「お姫様にご挨拶か?」
 落ち着いた声で、社と呼ばれた白髪の男が言った。精悍な顔つきの、岩のように大柄な青年だった。
「うん」
 小さな唇が吊りあがる。
「でも社たちも見たでしょ?さっきの人たち」
「ああ、見たぜ」
「ボクほんとに驚いたぁ、まさかこういうふうに出会うなんて」
 胸を押さえ、クリスは眩しいものでも見たかのようにそのマリンブルーの瞳をぱちぱちとさせている。シェルミーは唇に指を当て、栗鼠のように首を傾げた。
「ねぇ社、どう思う?これは偶然なのかしら?」
 社は両手を上げ、芝居めいた仕草でかぶりをふった。
「偶然にしちゃあ、出来すぎてるぜ。俺たちとあいつらだけじゃなく、あの姫さんまでもが生まれ合わせるだなんてなぁ。それも、草薙のあんなにも近くに」
 言って、丸太のような腕を組む。
「…まぁ、運命ってやつか?千と八百年の間に紡がれ続けたばらばらの糸が、このひと時に縒り集った、ってわけだ」
「ねえねえ、どうするの?リーダー?」
 相変わらずにこにこと微笑みながら、クリスはシェルミーと社の間に滑り込む。
「まずは奴らを片付けるのが先。奴らがご丁寧にあつらえてくれた、あの表舞台でド派手にな。お姫様のことはそれからだ…。ゲーニッツが欠けちまった分、俺たちは慎重にやらなきゃあな」
 胸の高揚を抑え切れないように、クリスは二人の腕を取った。
「もうすぐ、もうすぐなんだね。ねえ社、シェルミー」
「ええ、そうね。もうすぐだわ。ワクワクしちゃう」
「ああ。もうすぐ。全部最後だ」
 にやりと、社は笑みを作る。
「ほんとの姿になるんだもの」
 三人が発したその声は、一つに重なり虚空に散った。
「世界は」




 ユキと通りを歩いていた京は、ふと、右腕に手をやった。
「どうしたの?」
 僅かな仕草をユキは見ている。
「いや…」
 先ほど少年がぶつかってきた箇所だった。
 妙な熱を持っている。
 まるで炎が、燻るように。
「…なんでもねえ」
 言いながら、京は後ろを振り返った。
 そこには数多の人影が、引きも切らずに行き過ぎていく。
 夕陽はすでに深く沈み、地上は蒼く染まっていた。
 金糸が縁取る紫の雲。群青の大空。
 もうすぐ闇が、落ちてくる。




(「35」へ続く)

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