〜 星降 〜



…■ 第三話 ■…

 暗闇に浮かぶ、朱色の灯。
 常夜灯が明滅する境内を、幼い楓はたった一人で歩いている。
 天空には白く、天の川が横たわっている。一人星空を眺めていると、闇の中へと吸い込まれてしまいそうで、思わず楓は手にした面をぎゅっと抱いた。先ほど、兄姉たちが買ってくれたものだった。強情を張り通してやっと手に入れた。
 嬉しかった。早く師匠に見せたいと思った。
 がやがやと行き交う人々の海を、泳ぐようにすり抜ける。幻灯のような影法師たちの中に、ついに楓は師匠を見つけた。その人並み外れて大きな背中へ走り寄り、面を掲げた。
「お師さんっ」
 高く声をかける。
 師匠は振り向いた。下を向き、楓を見止める。高々と掲げられた面を見て、師はただ一つの目で微笑んだ。
「ああ、良かったな、楓」
 楓の頭に手を置いた。大きな手。陽だまりのよう。その温もりに胸がいっぱいになって、楓は笑った。




 楓は瞳を開いた。
 少しぼやけた、天井の木目が目に入った。
 己の家のものではなかった。町の宿の天井だった。昨夜、一条家に用意ができているから泊まっていくといいと十三は言ったが、楓は断った。忙しいところへ己のような者が訪れては、厄介をかけてしまうと思ったのだった。楓が遠慮がちな性格であることを知っている十三は、それならと、宿の案内をしてくれた。
 楓は、己の両手を天井へ伸ばした。
 師匠の姿を夢に見たのは久々だった。夕べの祭、夜道を照らす灯火の光に、幼い記憶が呼び起こされたのかもしれなかった。
 楓はゆっくりと手のひらを開く。もう十分に大きいと言っていい。あの頃はあんなにも小さかったのに。
 もしも師匠が今の自分の姿を見たなら…何と言ってくれるだろう。
 よく育ったと……言ってくれるだろうか?師の跡、青龍の座を継ぎ、師に少しでも近づきたいと思っている、今の自分の姿を…。
 会いたい。
 無性に、そう思った時。
 くす、くす。
 少女のしのび笑いが、耳に届いた。
 楓は目を動かす。障子に人影が浮かんでいた。声はその向こう側から聞こえてくる。
「楓はん、もう起きはったやろか」
 子猫のような高い声。楓は驚いた。それはあかりの声だったのだ。
「まだ寝てはるんちゃう?えらい遠くから来てくれはったんやし、きっと疲れてはるで。あかり、飛び出してったりしぃなや」
 これは、あかりよりは少し年上らしい少女の落ち着いた声。
「ええなぁ、ウチらはこうして起きとるのに。ふぁ…まだ眠いわぁ」
 屈託の無い声。溌剌とした感じが、あかりと似ている。
「ヒジリン、ぼやくんやったら一条のほうで待っときいな」
 諌めるようなあかりの声。
「ええ〜っそんなんいやや、あっちーが起きとるぐらいやのにウチだけ待っとるやなんてしょうもない。ウチ早ぅ楓サンゆう人見てみたいんや。なぁ、あっちーもそうやろ?」
「ん〜?ん〜。そうやなぁ、まだ寝てはるんとちがう〜?」
「話聞け!」
 少女たちのものらしいひとかたまりの影が、くっついたり離れたりを繰り返している。
「お嬢〜」
 十三の声だった。どこか疲れてでもいるような、うんざりとした響きがある。
「お嬢、大概にしてもう帰るで。男ゆうたかて楓にも準備があるやろし、いきなり押しかけるなんてメチャクチャやで。だいたい女が男の宿を訪れるなんてやなぁ…」
「何ブツブツ言うてんねん、十三がちゃっちゃとうちに楓はんを連れてきてくれはったら良かったんやんか。お父ちゃんら待ってたのに」
「そらそうやけどな、せやけどなぁ」
 楓は起き上がった。
「あのう」
 声をかける。
「わっ!」
 驚いたのか、影がぐしゃぐしゃになって暴れまわる。
 楓はすうっと、障子を開いた。
「…」
 目を丸くする。
 昨日の巫女服と打って変わった、町娘らしい着物を纏ったあかりが、友人らしい少女たちと抱き合うような姿になって楓の顔を見上げている。あかりやひかりと共に神楽を舞っていた少女たちだろう。あかりと同じような質素な着物を纏い、化粧なども落としている。やや離れたところに十三もいた。
「か、楓はん。起きてはったん?おはようさん」
「おはようございます…。…それよりも、どうしてここに?」
 十三が案内してくれた宿だった。楓の居場所は分かっただろうが、わざわざ会いにくるとは楓も思っていなかった。
「そらもう、楓サンに早ぅ会いとうて!」
 口を開きかけたあかりよりも先に、あかりと抱き合っていた三つ編みの少女が口を挟んだ。あかりが顔色を変え、どん、と少女を突き飛ばす。
「なっ、何言うねんヒジリン!」
「痛ったぁ!何すんねんウソやないやんか!」
「そんなん!行ってみいへん?言うただけやんか!」
「えぇ?なんやあかりらしゅうないなぁ、楓サンの前やから言うてかしこまりなや〜」
「なっ…!」
「あんたら、やめぇやもう」
 勝ち誇るように胸を反らせる少女に、つかみかかろうとするあかり。それを、波がかった髪の少女が大人らしく止めた。
 誰なのか、と少女を見ていた楓の目線に気付き、あかりが言った。
「あ、そういや初めて会いはるんやったっけ…」
「うん、多分…。でも、昨日にあかりちゃんと一緒に神楽を踊っていた子たちだよね?」
「うんそお。あ、楓はん、ウチらのお神楽見てくれはってんて?十三から聞いた」
「うん、立派だったよ、みんな」
「えっへっへ〜」
 照れ臭そうにあかりは笑った。後ろから、少女の一人がその肩を叩く。
「あかり、あかり、早よ紹介してえな」
「あ、そうやった。楓はん、ウチの友達、改めて紹介するわ!この人がしーさん、九条静さんで」
 綺麗に指をつき、静は礼をした。波がかった髪を背中まで垂らし、大人びた切れ長な瞳は物静かな印象を人に与える。
「この子があっちー!八幡葵ゆうねん」
 葵と呼ばれた少女は、とろんとした茫洋とした瞳で、楓は見ずにどこか違った場所に気を取られているようだった。
「ああ、こりゃあっちーのクセやさかい気にせんとってな。そんでこの子がヒジリン!七瀬聖や」
 聖は三つ編みを揺らし、勢いよくお辞儀をした。
「初めましてこんにちはぁ!あかりからお話はよう聞いとります。何や聞いてたハナシよりナヨナヨしたカンジやけど、ええ男はんや、こらあかりが気に入るわけやで〜」
「な、ななななな何言うんヒジリン!」
「なに言うてんねん、あんたが楓さんのコトばっかよう喋るからやんか。なああっちー?」
「ん〜?ん〜。ああ〜、ほんま、優しそうな人やねぇ〜」
「人の話聞けゆうねん!」
 かしましい少女たちに、ふと、楓は聞いた。
「けど、あかりちゃん、お祭りが終わって忙しいところなのに…出てきても大丈夫なのかい?」
「うん、それやったらもう大丈夫!十三が殆どやってくれたもん」
 楓は十三を見た。十三は無精髭の浮いた顎をさすり、
「そらまぁ、祭りの片付けぐらいは手伝わんとのう。普段食わしてもうとんのやし」
「そーそー、こういう時ぐらい働かなバチ当たるでぇ」
 聖が混ぜ返すように言った。
「せやから楓はんこれからどっか行こ、ウチらが案内したげる!おもろいトコいっぱいあるし!」
「え〜っ、焼き鳥食べに行こうやぁ」
 たちまち聖が不平の声を上げた。十三は言う。
「めし屋とちゃうんかいな」
「ねこまんまがええなぁ〜」
「お新幸…」
 葵や静も呟くが、
「あーっもう!今日はお客さんの楓はんが主役や!つべこべ言わんと、もう行くでぇ!」
「お嬢ムチャ言いなや、楓起きたばっかやゆうねん」
「あ、そうやった…ごめんな楓はん」
「あ、いや、僕のほうこそいつものんびりしててごめんね。すぐに行くよ」
 あかりはぶんぶんと首を横に振る。
「ええでそんなん、急がんで。ウチら外でテキトーに待っとるさかい」
「ほんま、早ぅにすんませんでした」
 めいめいに言って、少女たちは手を振っていく。その間にもふざけあって、仔猫のように互いをこづきあったりしていいる。屈託の無い少女たちの姿に、楓は微笑み頷いた。
 障子の外に目をやった。強い日影が落ちている。
 暑い一日になりそうだった。
 





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