それから、楓はあかりたちと共に町を歩き、朗らかな時を過ごした。
あかりたちはひと時もじっとしていない。常に誰かが何かを喋り、誰かがそれに相槌を打つ。ふざけあって、手の出ることも稀ではない。まるで胡蝶のように無邪気で、明るい。
「ああ、暑っつー」
夏の日差しに照りつけられて、聖が手扇で顔を仰いだ。雲の影もまばらな今日は、暑さも一段と厳しい。
「こういう時にはところてんに三杯酢かけてきゅーっってやるのがええなぁ!」
聖の言葉に、前を楓と並んで歩いていた、あかりが笑って振り返った。
「何言うてんねん、ところてんゆうたら黒蜜がけが当たり前やろ?それ関東のほうの食べ方やん」
「だってウチ甘いもんあかんねんもん。あっちのことはよう知らんけど、あの食べ方はうまい思うわ〜」
「ところてんに酢ぅかけて何がおいしいゆうねんな。黒蜜や黒蜜!ゆうてもまぁ、甘いもんゆうたらやっぱかすていらが最高やけどな〜あれあったらウチほかのお菓子なんか何もいらんわ〜」
言いながらその甘さを思い出したようなあかりの緩んだ頬に、静が呆れたように言った。
「何言うとんの、あんたようまんじゅう食うやない」
あかりはぶんぶんと首を振った。
「いやあ、まんじゅうの話は言わんとって!聞くだけでもうさむいぼ出るわ」
最後尾にいた、十三も口を挟む。
「アホばっか言うてお嬢、ワシが食うとるそばからちょいちょいくすねていくんはありゃなんじゃい」
「何言うん、見とうないから早よ消しとるだけや。お茶かてあかんわ、ありゃまんじゅうと一緒にしとくんは危険なもんやで〜早ぅ飲んでなくしてしまわな!」
「何を言うとんのやら…葵、何か言うてやれや」
「ん〜やっぱし黒蜜やね〜」
「まだその話しとんのかい!」
のべつまくない軽快なやりとりはまるで落語のようで、はたで聞いていた楓は思わず吹き出してしまった。
「あ、ウケた!楓はん今笑ったで!」
「よっしゃー!」
あかりと聖が手を打ち合わせた。息の合ったその様子がまた可笑しいやら微笑ましいやらで、楓は声を上げて笑ってしまう。どこまでも陽気で、仲の良い人たちの様子を見るのは何とも心のすくことだった。
それからも少女たちは好きに話を続けていたが、
「あそうや、楓はん」
ひととき会話の輪から抜け出ていたあかりは、ふと楓に言った。
「なべみちゃんな、こないだ守矢はん見てんて」
突然出てきた義兄の名に、楓はあかりを強く振り返った。
「兄さんを?!どこで?!」
いつもの楓には見ないような強い勢いに驚きながら、あかりは言った。
「どこでて、なべみちゃんはウチらの使う土地の名前なんて知らんからそれは分からへんねんけど……とにかく、お使いから帰ってくる途中で見かけた言うてたよ。ただなべみちゃんが近寄ってっても、知らん感じでふいっとどっか行ってまいはったらしいけど」
「…」
「まぁ、なべみちゃんはフツーの人には全然見えへんか、何かよう分からんもやもやっとしたもんにしか見えへんもんねぇ。守矢はんも気付きはらへんかったかもしれへんわ」
あかりの言葉に、楓は半ば上の空で頷いた。
義兄。御名方守矢。地獄門騒動以来、姿を見ていない。
師匠が斬られた五年前。楓は、斃れた師のそばで血刃を下げていた守矢を、師匠の仇だと思い込んだ。楓は我を忘れ、夢中で兄の肩に剣を振り下ろした。兄はそのまま、弟妹たちの前から何も言わずに姿を消した。
楓がようよう真実を知ったのは先の地獄門騒動の時だった。姉が教えてくれたのだ。師を斬ったのは兄ではない、と。
ただ一人、師を斬った男を見た守矢は、その仇討ちの旅に弟妹たちを巻き込まぬために全てを背負い、師匠殺しの汚名を着ながら、さすらっていたのだと。
慨世を殺めたのは、慨世と同じ四神の一人、朱雀の嘉神慎之介。四神でありながら地獄門を暴くという野望を抱き、門の封印の力を緩めるため、青龍である慨世を狙ったのだ。
そのことを知った楓は、兄と同じく師の仇を討つため、そして、四神の一人として、師匠から受け継いだ青龍の力をもってして嘉神を下した。
それから、守矢が楓の前に姿を見せたことはない。
守矢は自分に厳しい人間だった。おそらくは、眼前で師を斬られたことを悔いているのだろう。兄弟たちを不幸にしたのは自分であると己を責め…合わせる顔が無いとして、戻ってはこないのだろう。
兄はそういう人間だった。それが、楓には悲しい。
「あ…」
楓は、あかりの視線に気が付いた。眉を潜め、心配げでいる。この少女に、似ない。
「えっと…」
楓は言葉を探した。自分のためにこんな顔をさせてしまった。
「あ…あ、そうだ、あかりちゃん。この辺りに甘味処って無いかなぁ…?」
楓の言葉が唐突だったのか、あかりは虚を突かれたような顔をした。
「へ?甘味処…?そら、あるよ?」
「行ってもいいかな?水羊羹が食べたいんだ。みんなの話を聞いてたら、甘いものが食べたくなって…。僕こう見えて甘いものが好きなんだよ。こういうところに出てこないと食べられないし…」
「そうなんや?それやったら向こうのほうにええお店あるよ。なあなあみんな、今から甘いもん食べに行かへん?楓はん水羊羹食べたいねんて」
後ろを振り返りあかりが言うと、それぞれ承諾の返事を返してくる。
「ありがとう」
楓は言った。あかりは笑顔で、首を横に振る。すぐに正面に顔を戻した。
内心、楓はほっとする。兄に関する話題を、すぐに逸らしてしまいたかった。兄の話を出されると、楓は兄のことを考えてしまう。もう戻ってはこない日々たちに思いを馳せてしまう。その時の自分の表情は、きっと明るいものではないだろう。姉に指摘されてしまったように。地獄門のことばかりを考え、知らず険しい顔をしていたように。
浮かない顔をしたままでは、この子を困らせてしまう。そう、楓は思ったのだった。
「楓はん」
あかりが言う。楓は目を向けた。あかりは何か言いたいことがあるようにもじもじしていたが、
「えっと、…そや、その…そうや、楓はん、今日はうちでごはん食べてって!」
「え?」
「なぁ、ええやろ?昨日はろくに話もできへんかったぐらいやし」
「え、でも…いきなり行っちゃ迷惑に…」
「何言うてるん、楓はんはお客さんやもん!呼びつけといて何もお世話せんと帰してまうやなんて失礼もええトコや」
「楓、そないしてくれや」
楓は後ろを振り返った。
「十三さん」
「おやっさんらもそのつもりでいてはるみたいなんや。もうちゃんと用意はできてるねん」
「そうそう。十三、あかりのおっちゃんにえらい叱られてたもんなー。なんできちんとお連れしてこんかったんや!て」
「こら聖、そういうことは言わんもんやで」
あかりの父親の口真似をする聖と、それを諌める静と。
楓は考えてしまった。迷惑にならないようにと外に求めた宿だったが、そのために十三があかりの父親に叱られることになってしまっていたとは。
楓の返答を待って、あかりたちは楓を見つめている。
「それじゃあ…お言葉に甘えて」
楓が言うと、全員が顔を輝かせた。十三だけは、ほっとしたような表情で。
「おおきに楓はん、ほな早速家に知らせな…」
言うとあかりは懐から人形を取り出した。人の形に切り取った、一枚の紙。それをあかりは手に取り、しかじかの呪文を唱え出す。ふっと息を軽く吹きつけると、見る間にそれに光の透け込む手足が生えて、宙返りして地面に立った。
「そう言うことやから、ようお母ちゃんに伝えてな。ほな、行ってきー!!」
あかりが手を打つと、先ほどまで紙きれであったはずのそれは、威勢良く一散に駆けていった。
「あかりちゃん…」
目の前にありありと陰陽の術を見せられて、楓は呟いた。
「すごいね」
心からそう言った。この少女が陰陽術師として人より遥かに優れた力を持っていることは楓も知っていた。それでもこうして間近にすると、感嘆せずにはいられない。
「いひ」
あかりは笑う。白い八重歯が小さく覗いた。
「さー、行こ行こ!お店はあっちやでー!」
言うが早いか、あかりは駆け出す。
「あっ、ちょう待ちぃやあかり!いっつも急やなー」
「もうっ、いきなり走りなや、危ないで!」
聖、静が後を追い出す。二人が行ってしまってから、葵が慌てたように走り出す。
楓も、足を速めた。後ろから十三も追ってくる。
地獄門のこと。青龍のこと。兄のこと。
考えなければならないことは、多くあるのかもしれない。
それでも。
今、目の前にいる少女たち。何をするにも、一所懸命な…。あかりも楓に気を遣ってくれている。それとなくではあるが、行動のはしばしにそうした気遣いが透けて見える。自分よりも小さな子に心を砕かせてしまうのが楓には申し訳ないように思えたが、一方では、その温かい心遣いが嬉しくもあった。
今は、この子たちといられるこの時間を大切にしよう、と、楓は思った。
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